Opacity×Instability×Uncertainty   00

ゆっくりと覚醒していく意識は、はっきりと定まらないまま、ふわりふわりと漂い続ける。

スッ、と静かに瞼を開くと、思いの外重たくて。
頭はボーッとして、どこか現実味がなくて。

まだ少し、眠っていたいと思った。


「―――お目覚めになられましたかな」
「……」


しかし、その時。
突然、横から視界を隙間なく塞いだ、眼鏡をかけて鬚を生やした、大きな顔。

心地良いまどろみが、一瞬にして醒めていった。


「……あ、あの…」
「お身体に異常などは感じませんか?」
「……え?」


突然の出来事に半ば放心していると、その顔―――随分と身体の大きな男の人は、ゆっくりと身を起こして訊ねてきた。
それにハッとして、慌てて寝かされているらしい身体を起こそうとする、が。


「……お、起き上が、れ、ない…」
「ふむ……やはり、まだ動くのは難しいようですな」


傍らで正座をして腕組みをする、何とも風変りな容貌のその人を下から見上げて、自分が布団にしっかりと寝かされていることに気付く。
身体は動かないものの、指先や腕、首くらいは自由に動かせるようだったので、自分の身体にかけられている布団を撫でる。


それにしても、ここはどこだろうか。

ゆっくりと、少しだるさの残る頭を動かして、周囲を確認してみる。
天井や、布団の下に見える畳を見る限りでは、普通の、何の変哲もない和室である。


(てか、何で私、こんなところに…? ―――……ッ!!)


そう感じた瞬間、恐怖から来るゾクゾクッ、とした悪寒が、背筋を一気に駆け抜けていくのを感じた。
そして、その直後に訪れるフラッシュバック。


大きな、黒い影。
影の中に白く浮かぶ、骸骨のような仮面。

鈍る意識、鈍る痛み。
欠けた身体。

月のない、冷たく泣き続ける暗闇の空。
孤独の中に感じた、恐怖。




『―――助けて、あげましょーか?』




そして、男の声と。
下駄の、音。


「ッ、わ…私ッ……!」


何故。
何故、私はここにいる?


何故、私は―――生きて、いる?


頭に突然流れ込むようにして浮かんできた、紛れもない私の記憶。
身体に、脳内に、消えることなくこびり付いた、恐怖の記憶。

顔の前に掌をかざすと、小さく指先が震えていた。
ギュッ、と拳を握ると、指先が異常なほど冷えているのが分かる。


「あ、あの…ッ、私、何で…―――」


先程まで感じていた“外部からの恐怖”が、“自分自身からの恐怖”に変わる。
咽喉の奥から絞り出すようにして、必死に震える声を出すが、そんな私の声を遮るように、スッと部屋の襖が開く音が耳に入った。


「おやおや〜? もうお目覚めですか?」
「!」


緊張感のない、気の抜けた飄々とした声。

先程起こったフラッシュバックの中で、下駄の音とともに掛けられた声と全く同じで。
私は目を見開いて、その声の主を見た。


「思っていた時間より早いお目覚めッスねー」
「……あ、なた…は…」


あまり見慣れない和服に身を包み、一風変わった帽子を目深に被り、その下から私を見つめる双眸。
無精髭も窺えるその風貌からは、何とも胡散臭い空気を感じてしまうのだが、そんなことよりも自分の身に降りかかっている現状が信じられなくて、全てを無視して目の前の人物を見上げた。


「想像していたものより、大分強い“魂魄”をお持ちのようで」
「……こんぱく…?」


後ろ手に襖を閉めながら入ってきたその人は、ゆっくりと私が横たわる布団にまで歩み寄りながら、聞き慣れない単語を零す。
それに訝しげな声を漏らす私を制して、顔を覗き込むように、彼は私の傍らに座り込んだ。


「ああ、その辺は追々説明しますんで、今はとりあえず……調子、いかがッスか?」
「! ……どういう、意味ですか」
「そのままの意味ッスよ」


声のトーンや話し方から、何だか飄々とした印象を受ける相手に気遣いの言葉を投げかけられて、私は思わず眉間に皺を寄せた。
何だか裏があるような、探りを入れられているような気持ちが拭えない私だが、目の前の男の言葉をそのまま素直に汲み取って、「身体が動かない以外は特には」と応える。

すると、その人は帽子の下で笑った。


「……本当に?」


その人は、口元を弧に歪めながらも、鋭く真っ直ぐな瞳を私に向けてきた。
それを真下から受け止めてしまった私は、その鋭利な光を放つ瞳を、目を見開いて見つめ返す。

どういうことだろうか。
この人は、何か“知っている”のだろうか。

まるで、私以上に“私”を知っているかのような口振りだ。


「何か、すごく大事なこと……“忘れている”んじゃ、ありませんか?」


聞きたいことがたくさんある、この状況下で。
何故この人は、更に私の頭や胸の中を混乱させるようなことを言うのだろうか。




混乱と不安と、恐怖が、追いかけてくる。




私の混乱している様子が伝わったのか、それとも初めから、自分から切り出すつもりだったのか。
目を見開いたまま黙り込む私の顔を覗き込み、男は帽子を手で弄びながら言う。


「貴女のその様子からして、アタシが貴女を見つけた時のことは、憶えてますよね?」
「……は、い」
「本当はそれ自体珍しいことなんですがねェ…」
「……?」


今さっき思い出したことではあるが、私は確かに、この人に見つけられたことを憶えている。
だからこの場にいるのだろうし、だからこそ、この状況が不思議でならない。


あんなに―――死を、覚悟していたのに。


含みのある言い方で零して自身の無精髭を撫でる男を、私はただ見上げることしかできない。


「本当に思い当たりませんか? 一から……そう、自分の憶えている限りのことを、一から思い返してみて下さい」
「……憶えている、限り…?」


勿体ぶった様に言う男に、私は小さく呟いて、言われたとおりに考える。

思い出すのは、月の見えない真っ暗な雨の中。
得体の知れない“何か”に襲われて、人通りのない道の真ん中で息絶えかけていて。

いや、それよりももっと前。
私が“憶えている限りのこと”は。

憶えている、限りのこと―――?


(……駄目、だ)


憶えていない、何も。
あの時の、背筋が凍るほどの恐怖と死しか、思い出せない。

どういうことだ。
混乱しているとは言っても、こんなことが有り得るのだろうか。

突然強張った私の表情と、額に浮かぶ冷や汗を見て、男は全てを悟ったかのように言う。


「思い当りましたか?」
「あ…ッ、や、だ……!」

「自分自身が誰だか、分からないんじゃないッスか?」

「ッ……!!」


胸の奥底で、不安が膨れ上がって弾けた。

あまりの衝撃に、動かないはずの身体を勢いに任せて無理矢理起き上がらせる。
瞬間、何とも言えない気持ち悪い感覚に身体が包まれて、真横に身体がグラリと倒れた。


「おっと。……無理はいけませんよ? まだ、身体と魂魄の定着が完璧じゃないんスから」
「…ッ、な、にが…」


何が、起こっている。
私は一体、誰、なのか。

動かないと思っていた私が突然起き上がったことに、しばし目を瞬かせていた男は、畳に倒れ込む前に身体で私を受け止める。
そんな男の纏う着物の襟を掴むように、思わず縋りついて顔を見上げた。

そこには、まるで。
哀れな者を慈しむかのような目をした、男の顔。


「何が……私、は…ッ」
「落ち着いて下さい―――…“ ”サン」
「………?」


私の背に腕を回してしっかりと身体を支えたまま、男は私をそう呼んだ。

聴き覚えがあるような、ないような。
懐かしいような、そうでもないような、名前。

 
それが“私”の名前らしい。


「そう、貴女の名前は“ ”だ。…一から説明してあげますよ、サン。アタシ達がきちんと、ね」
「……」
「だから、今は、落ち着いて下さいね?」


今までの、怖いくらいに真剣で真っ直ぐな表情が嘘のように、ヘラリとしながら、男は私の背をポンポンと叩いた。
まるで、泣きじゃくる子供を宥めるような仕草で、何だか拍子抜けしてしまった私は、ふっと身体から力を抜く。


「まあ、とりあえず横になって聞いて下さいな」


そうおどけた様に言うと、私をそっと布団へ戻す帽子の男。
そして、先程から成り行きを傍らで見守っていた巨体の男と視線を交わして、改めて私を横たわらせた布団の横に2人で座る。

今更だが、何だか不思議な光景である。


「ああ、そうだ。アタシ達の紹介をした方がいいですかね?」
「……お願い、します」


どこから取り出してきたのか、手元でパシンと音を立てて開かれる扇子。
それで空を切りながらそう切り出した男に、私は身体の倦怠感を押し込めるようにして答えた。


「まず、ここはアタシの経営している店でしてね」
「…お店なんですか…。…何の…?」
「何でもありますよ? 生活用品・文房具、はたまた駄菓子の類まで。……まあ、所謂雑貨屋、ですかねェ。『浦原商店』ッス」


彼の言葉に、改めて辺りを見渡してみる。
よく見てみると、横たわる私の足側に見える、襖とは違う引き戸。

どうやら、お店とこの部屋は隣接しているらしい。


「そして、こっちの彼はアタシの助手…お手伝いみたいなもんで」
「握菱テッサイと申します。以後お見知り置きを」
「はあ……どうも、握菱、さん」
「テッサイで構いませぬぞ、殿」


両手の拳を畳について、大きな身体を折って頭を下げて名乗ってくれた巨体の男―――握菱テッサイさんに、私もつられるようにして顎を動かした。
よくよく見るとユニークな髪型だ、などと考えている辺り、私も余裕が出来てきたようだ。


「テッサイの他にも2人従業員がいるんですが、今はちょっと“御遣い”に行ってるんで、帰ってきたら紹介しますね」


そう言って笑った後、目深に被った帽子の下から私に視線を向けて、男は続ける。


「そして、アタシはここ、浦原商店店主の浦原 喜助ッス。どうぞよろしく、サン。……ああ、アタシのことは喜助でいいッスよ」
「喜助、さん…」
「はい」

帽子の男―――浦原 喜助さんは、小さく零すように名を反芻した私に、嬉しそうな笑みを浮かべて頷いた。

初めて逢った時は、思わずその影に縋ってしまって。
二度目は混乱の中、その真っ直ぐな眼に恐怖して。


今は、何故かひどく落ち着く。


何だか、見た目や言葉のみならず、中身まで掴めない人だと思った。


「さて―――では、本題にでも入りましょうか?」


パチン、と。
扇子が閉じられる音が静かな部屋に響いた。

先程の混乱が嘘のように落ち着いた私は、ただ真っ直ぐに喜助さんを見上げる。
喜助さんは、それをどこか愉しそうに見返した後、口を開く。


「肝心なところだけを、まず、言ってしまいましょう」
「……」


スッと綺麗な動作で自身の口元に、閉じた扇子を近づける喜助さん。
その隠れた口から飛び出した言葉に、私は最早混乱すらできなかった。


 ―――つまり、貴女は、一度死にました。アタシがきちんと看取った。ここまでは、きっと記憶にあって、薄々感付いてはいますよね」
「……」

「貴女は今、“以前の ”と同じ身体で、性質の異なった魂魄……異質の魂を持った“別の ”として、存在している」

「……え?」


死んだはずの私には、“私”の記憶がなくて。
そして、私なのに“私”ではない、魂の性質が以前とは違う私になってしまっていた。


「アタシの言葉、信じますか?」


俄かには信じ難い事実に、思わず呆然とする。

まるで、原稿用紙の上に書き綴られた、御伽噺だ。
いや、安っぽい文句で客の目や興味を惹く、オカルト雑誌の一例か。

しかし、目の前で真っ直ぐに目を向けてくる人物を見て、そう笑って誤魔化される話ではないことくらい、私にも分かる。


「以前の貴女の身体は“大穴”が空いて、最早助けるには手遅れだった。けれど、その傷を治したのは、貴女の奥底に眠っていた異質な魂魄の力だ」
「力って……私は別に、そんなもの…」
「言い切れますか? 以前の記憶を持たない貴女に。それに……貴女は憶えちゃいないだろうが、持っていましたはずッスよ。だって、貴女は」




―――この世で唯一の、選ばれた存在なのだから。




「選ばれた、存在?」
「そう。……つまり、貴女は以前から、“普通”じゃなかった。普通の人間には視えるはずのないものが視えていた」


喜助さんから発せられる、膨大な情報。
最早口を挟むことすら許されないそれらを、ただただ必死に集め、繋ぎ合せていく。


「知ってますか? この世は、大きく分けて3つの世界で成り立っていることを」


それは清々しいほどあっさりと、私の中で一線に繋がっていった。
おぼろげでは、あるけれど。


1つは、アタシや貴女が今いる世界。俗に言う、人間界。他の世界では“現世”と呼ばれる、人間の住む世界」

2つ目は、“虚圏(ウェコムンド)”と呼ばれる世界。世で言うところの悪霊…“虚(ホロウ)”が巣食う、枯渇した世界」

「そして―――その“虚”達から人間を、現世を護る為に存在する“死神”が集う世界が、“尸魂界(ソウル・ソサエティー)”」


虚。
死神。

聞き慣れない言葉が、耳から入って頭に染み込んでいく。
ただただ黙って、目を見開いたまま、喜助さんの言葉を一字一句聞き逃さないように聞き入った。


「先程、アタシは貴女のことを『唯一の選ばれた存在』と言いました。貴女は今言ったこの3つの世界に、もっとも深く、中立的に関わる存在になったんですよ。貴女が生まれ変わった、あの日、あの時に」


3つの世界の中立となることで、死を一度乗り越えることを許された唯一の存在。
選ばれた、たった1人きりの、私。

そんなの。
そんなこと、信じられるわけが、ない。

しかし、目の前の彼はそれすら分かっているかのように言う。


「信じられないのも無理はありませんが、今、貴女が置かれているこの状況が、貴女自身の望んだ全ての真実……いや、現実ッス」
「……そ、んな…」
「まあ、これから嫌でも自覚していくと思いますがね。アタシは貴女に言ったはずだ」


スッと喜助さんの長い指が、私の鼻先まで伸ばされる。


貴方はまだ、消滅しちゃあいけない存在だ、と


以前の私ならば、この話をどう捉えることができたのだろうか。
もしかしたら、今の私なんかよりも素直に、全ての現実を受け止めることができたのではないだろうか。

俄かには信じ難い言葉に、私はただただ、深く沈んでいく。


3つの世界の中心として、この世に存在する“総ての存在の中心”として、貴女は再び魂魄を得た。そして、計り知れない能力も。…虚や死神達の間で、貴女のような存在はこう呼ばれています」


身体の中で何かが叫ぶ。
3つの“何か”が叫んでいる。




「世界の均衡を保つ、中立者―――謳神(うたがみ)、と」




大きく歪んだ、私の世界。

それは、想像もつかないほど壮大で、曖昧で。
暗闇から掬い上げられたのに、光の中でいつまでも闇を引きずっているようで。

私の頭と心が全てを理解するまでには、まだまだ時間と説明がいるけれど。


(……確かな、ことは)


私が。
私自身が、以前の、死ぬ前の私よりも。
とても不透明で、とても不安定で、とても不確定な存在になったという事。








君はこの世で、たった1つの。
(その小さな背に、総てを背負わされた存在)









アトガキ。

*”自分”を忘れて生まれ変わった少女の、安堵と絶望。
 死んだと思っていた自分が浦原さんによって一命を取り留めたことに安堵した矢先、浦原さんに真実を聞かされて絶望するヒロイン。
 このBLEACHの連載ヒロインは、結構設定がややこしいので、早いうちに素性の一部を公開してみました。これでもあくまで一部です、一部。

*簡単にヒロインのことを説明すると、ヒロインは、人間であり人間ではない。死神であり死神ではない。虚であり虚でない。つまり、世界で唯一の、不安定な存在なのです(わからねーよ)
 まあ、話を都合よく進めるための設定ですので、突っ込みはなしの方向でお願いします!詳しい設定は話の中で後々語られていくことでしょう(他力本願)

 では、次回はとうとう本家主人公と対面…のはずです。





*2009/11/18 加筆修正・再UP。