プロローグ

いつ死んでも、おかしくない。
殺されても、おかしくない。


『全部……全部、アンタのせいよッ!』


でも、それでもいいかな、なんて。
そんなことを、幼いながらに思っていた。


『アンタが、そんな変な“力”持ってるせいで…ッ、私は……!』


仕事が上手くいかなかい。
旦那との仲が思わしくない。
近所から、白い目で見られる。

殴られる理由は様々だった。
それでも。


『……殺してやる』


原因は、全て私であって。
私の、“力”であって。


『―――死ね!! アンタなんかッ……!!』


一度斬り付けられて動かない右腕を、庇いながら。
そこから流れる血を見つめながら。

狂って、銀色にキラリと反射する刃を振り回す、その人を―――どこか哀れに、思いながら。


(……ああ、母さん…)


その人の目を見て、想う。
その人の“記憶”を視て、想う。




(私が、母さんの……“終わり”なんだね)





***************





「―――ッ……」


ガバリ、と上体を起こした瞬間、目に痛いくらいの夕陽の光が射し込んだ。
光の方へ目を向けると、窓の外はすっかり橙色に染まっていて、まだ2時間ほどしか眠れていないことに気付く。

まいった。
只でさえ、最近寝不足なのに。

今日、私はあまりの体調の悪さに午後の授業を放棄して、学校を早退してきた。
理由は分かっているが、それにしても、身体がだるかった。

確か、学校へ行く途中に不覚にも、複数の人と“触れて”しまった憶えがある。
それによって、体調は悪化。

午前中の授業は何とかこなしたのだが、あからさまに調子の悪そうな私を見た友人の「帰れ」という命令に逆らう気力すらなく、必死になって学校から1時間半の道程を帰ったところまでは、記憶にある。

家の玄関を開けて、同居人のお仲間であるお兄さん・リョウさんを見てから、自分の部屋に来てベッドに入った記憶がない。
おそらく、玄関で力尽きてリョウさんが運んでくれたのだろう。


「……あとでちゃんとお礼言っておかないと」


1人部屋の中で呟いて苦笑した私は、ゆっくりとベッドから降りる。

ふと、右の掌を見つめると、小さく震えていることに今更気がついた。
それを見て、もう1つ苦笑。


「……痛い」


服の袖の上から、右腕を撫でた。
夢見の悪さも、ズキズキと痛む腕も、もう慣れた。








さすがに寝間着のまま家の中をフラフラするのは忍びないし、もう12月ということで空気も寒々しくなってきた為、私は壁にかけてあったカーディガンを上に羽織って部屋を出た。

ここの家主である同居人に、顔を見せに行かなければならない。
いつもなら、学校から帰ってすぐに行かなければギャーギャー喧しくまとわりついてくるのだが、今日はどうやら騒いではいないようだ。
きっと、リョウさんが知らせて釘を刺しておいてくれたのだろう。


(そういえば家にいるのかな、兄さん……)


私の部屋がある2階から、階段を下りてすぐ目の前の部屋―――。
そこが私の同居人で、この無駄に広い屋敷の主・ の部屋である。

一応、私の従兄という位置付けにいる兄さんだが、実際に血の繋がりは皆無だ。

親を失くしてから養護施設で過ごしていた私を、何故か引き取った変わり者で、おまけに裏社会に顔が利く、極道者。
自らも任侠一家の頭を務めていて、私の世話を焼いてくれているリョウさんは、そんな兄さんの所謂舎弟の1人だ。
まあ、極道者と言っても、きちんと道理や義理を通す人情派で、危険な仕事はそこまでこなしているわけではない―――らしい。(談)


(ほとんど毎日、家のどっかにはいるし……この時間なら部屋にいるよね)


階段を降り切り、締め切られた襖張りの部屋の前で立ち止まった私は、こういう場合はノックする必要があるのだろうか、と考えた。
普通の扉ならノックするが、襖の場合は外から声をかけるのが普通か。


「―――兄さん、いる?」


ノックしようと上げた手を下げて、私は襖に向かって声をかけた。

すると、中からガタガタッ、という物音がする。
私は少し怪訝に思いながら、もう一度「兄さん?」と声をかけた。


「あだだだだ……か?」
「そうだけど…大丈夫?」
「だ、大丈夫。心配ない」
「声が痛そうだよ」


襖越しに聞こえてくる同居人の声は、何だか悲痛な声だった。
大方、私が突然来たことに驚いて足でもぶつけたのだろう。
もしくは物を落としたか、こけたか―――まあ、そんなことはどうでもいい。

とりあえず、いつまでも襖越しに会話をするのは馬鹿らしいので、私は襖に手をかけて言う


「とにかく、開けるよ」
「……はあ!? ちょっ、待っ―――」


何故か部屋に入ることを渋る兄さんの声を無視して。
襖をスーッと横に動かして部屋の中を見ると、部屋には相変わらずの着物姿な兄さん。

そして、見慣れぬ客人が、2人。
1人は、ビシッとスーツを着こなした、白い鬚を蓄えたご老人。

もう1人は―――何だか、不思議な人だった。

おそらく、兄さんとそう歳の変わらない、青年だ。
しかし、隣の座椅子に背を伸ばして座るご老人とは対照的に、何故か両膝を立てて縮こまっている。(所謂、三角座りというやつだ)
白のロングTシャツに、下はくたびれたブルージーンズという、至ってシンプルな様相で。

率直な意見を言わせてもらうと、変な人、だ。


「……」
「……」


しばし、そのまま硬直している私達の間に、沈黙が流れて。
どうしたものかと、自分のタイミングの悪さに心の中で嘆いていた時。


「……貴女は?」


その沈黙を破った、客人の1人である風変りな青年と、私は―――目が合った。
その人は、いつの間にか私の目の前に立っていて。
顔を覗き込んでくる彼に、私は思わず驚いて肩をビクリ、と震わせた。


「あ、えっと…」
「……」


猫背気味な青年は、ブルーのジーンズを少し引きずるようにして近づいてくる。

―――あと一歩で、触れてもおかしくない。

そう考えた瞬間、私は一歩後退する。
本能的に、この人には触れてはいけない気がしたのだ。


「……?」
「! ちょっ……!」


しかし、目の前の青年は何かに気づいたように一瞬首を傾げると、先程までのゆっくりとした動きが嘘のように、素早く手を伸ばして―――私の手首を、掴んだ。


「あっ!」


私の腕を掴んで、顔、というよりも私の眼を覗き込んでくる彼の背後から、兄さんが声を上げる。
しかし、その時の私はそれを気にしてなどいられなかった。

風変りな青年が触れている部分から流れ込んでくるもの。
目にパッパッ、と流れ込んで映る光景。


そして―――目の前の人の始まりと現在。


「―――ッ、うっ……!」
「!」


思わず、その場にガクリと膝を付く私を見て、青年は驚いたように目を見開く。
思わず離してしまったのだろう、手。


「大丈夫ですか?」


その場に突然しゃがみ込んで自分を見上げる私に、少し戸惑った様子で声をかけてくる青年。
私はそんな彼を見上げて、想う。

何で。
何で、兄さんの所に、こんな人が。

「兄さんが……何か、したの?」
「は…?」

思いの外背の高い、しかし猫背気味なその青年の顔を見上げて、私は思わず呟いてしまった。




「―――何で……“探偵”が…」




私を見下ろす目が、微かに大きく見開かれた。
その瞬間、私は思う。


(ああ、またややこしいことを)


私が心の中でそう後悔した時には、すでに遅く。


「……何故…?」


訝しげに歪んだ目の前の顔に心痛めた時。
青年の背後から、全てを理解した様子の兄さんの溜め息が聞こえた。


そう、それは―――突然訪れた。
何の前触れも、予兆もなく、私の目の前に現れた、それは。




全てを揺るがし軋ませる、ものだった。








日常が壊される、音。
(これは、確かな予感)










*2009/11/05 加筆修正・再UP。