PROLOGUE



いつだって、傍にいてくれた。





いつだって、その優しく慈愛に満ちた声で、愛しげに名前を呼んでくれた。


「おいで、


そう、いつだって。
いつまで、だって。

いつまでも私を、決して―――離してはくれなかった。


「とうさん、かあさん」


何故?
何で私は、外に出してもらえないの?

日に日に募った疑問は、小さな身体の中で爆発した。


(出してもらえないのなら、自分で出ていけばいい)


それは、幼いながらに芽生えた、子供の“我が儘”。
幼いながらに求めた、“自由”への憧れ。

そうして飛び出した世界は、とても明るい色に満ちていた。


「おい」


ほんの、子供の出来心で飛び出した先で、小さな掌に掴んだものは。
自由でもなければ、希望でもないもの。

これから起こり、変動していく何か。
手に落ちて握り締めた衝撃は、声をかけられたその瞬間から、走り出していた。




「―――出て、きちまったのか」




路頭に転がる私を見降ろす“赤白”が、今でも目に焼き付いて離れない。





***************





「―――数奇、だな」


早朝、そう言いながら私が煎れたコーヒーを喉に流し込んだのは、師匠だった。

黒のロングコートに銀の装飾。
長い、癖のある赤髪に、鋭い瞳の片方と顔半分を覆い隠す仮面―――クロス・マリアン元帥は、ただ座ってコーヒーを煽っているだけなのに、物凄い存在感を醸し出していた。

私はそんな師匠の言葉が理解できずに、首を傾げる。
まあ、この人は年がら年中突拍子もない事を口走るので、慣れてはいるのだが。


「……何ですか、いきなり。私コーヒーに変な物なんて入れてませんよ? 例え、常日頃から師匠の度肝抜かれる行動に恨みを持っていたとしても」
「違う。……つーか恨んでんのか」
「冗談です」
「なら言うな」


私は自分の分のココアを煎れながら、真剣な顔で言ってみる。

口では師匠に構っているが、意識は別のところへ飛んでいて。
―――私と同じく、師匠の弟子である少年の行方を気にしていた。

昨日から、どうもその少年の行方が知れないのだ。
彼は私よりも少し遅れて師匠に弟子として拾われたのだが、私よりは2つほど年下なのだ。

心配だ。

しかし、そんなことは露と感じず、平然と師匠は話を続ける。
きっと、原因は師匠に違いない。


「アレンが戻ってこないのが“数奇”ですか?」
「んな訳あるか。……が、だ」
「私…?」


本当に、何が言いたいのか分からない。

私は師匠に向かって、また首を傾げる。
師匠はそんな私を横目に見ながら、マグカップの中のコーヒーを全て飲み干すと、「もう1杯よこせ」と言わんばかりに何気なく空のマグカップを差し出してきた。


「師匠、また夜遊び行くつもりでしょ」
「何で分かる?」
「カフェイン摂取しすぎです」


もう淹れませんからね。
夜、外にも出しませんから。

そう続けて、空いたマグカップに近くに置いてあった牛乳を並々と注いでやった。
一気に顔を顰めた師匠が見えたが、完全に無視。

自分のマグカップを手にして、師匠の向い側に腰を下す。
そして、マグカップをソーサーの上に置いた直後、鼻先に差し出される1つの封筒。


「……? 何ですか、コレ」
「中央からの通知だ」
「! ―――…あー、あの人か」


師匠の指に挟み込まれて目の前に差し出されたそれを、私は重たい溜め息を吐きながら受け取る。
“中央”と聞いた瞬間、顔を顰めたのは言うまでもない。


「師匠、先に中、見ましたね?」
「お前と連名で送られてきたからな。大体、俺とお前は“師弟”だぞ? 俺が見る権利は十分すぎるくらいあるだろーが」
「言うと思った。……で、何て書いてありました?」


カサリ、と封筒の封を開きながら訊ねると、師匠は淡々とした声音で言う。


「『を教団へ向かわせ、エクソシストとするよう要請する』―――ってな」
「……」


最近に入って6度目の、要請だった。

イノセンス適合者である私は、数年前に師匠に拾われ、今まで、黒の教団についてやイノセンスの扱い方、エクソシストとイノセンスについてなど、多くのことを教え込まれてきた。
まだ正式なエクソシストではない私にとって、黒の教団へ行って正式な手続きをすることは願ってもいないことなのだが。

師匠はあまり、私を教団へ行かせようとしてくれない。
その為、あちらこちらの国々を回って行方をくらませていた私達(というか師匠)。

にもかかわらず、私の存在をどこからか聞きつけた黒の教団の上層部は、最近執拗なほど手紙を送ってくるのだ(何故居場所が割れているのかは、よく分からない)。


「アイツらも懲りない奴らだ。これだけ世界中フラフラして、消息を拡散してるっつーのに…」
「そういう問題じゃないと思いますけど」

いつの間にか火を灯したらしい煙草をスパーッ、と燻らせて何となしに言う師匠に呆れながら、手元に開いた手紙に目を移す。
師匠の言った内容が、長々と紙面に書き込まれていた。


「……師匠」
「あ?」


くしゃりと手の中で手紙を丸めると、それを師匠の頭に向かって投げつけてみる。
師匠は額で紙の球を受け止めて、自分の手元へ紙を落とした。


「“数奇”って、このこと?」


私の言葉にニヤリと口角を上げた師匠が、ぐしゃり、と乱暴に紙の球を潰す。
その不敵すぎる笑みを見て、思わず口元を引き攣らせた。




「不変的な運命か、激動的な運命か―――思う存分、試して来い」




アレン、ごめんね。
君を捜しに行く前に、出掛けることになっちゃったよ。

心の中で弟弟子に謝罪しながら、目の前でニヤニヤしっぱなしで何を考えているのか読み取れない師匠に向かって、渾身のチョップを放った。








闇を背負って、

闇を切り裂け。


(光を得るため背負った、闇黒)









*2009/11/07 加筆修正・再UP。