プロローグ



江戸―――新宿、かぶき町。

今日はひどく空が澄んでいて、陽射しも燦々と街を照りつけている。
私はそんな中、銀さん達万事屋一行とともに河川敷へと来ていた。


「気持ちィー……」


素足を川の澄んだ水に浸けると、ひんやりとしてサラサラとした感触が私の足を包み込み、膝下を濡らした。

ふと銀さん達に目をやると。

神楽ちゃんと新八くんは、川に入って水をかけ合っていて(神楽ちゃんが本気で、新八君が溺れかけている)。
銀さんは、そんな2人や水面をボーッと見つめながら、アイスキャンディー(いちごミルク味)に齧り付いていた。
ちなみに、定春は日陰で寝ている。


「……ここに来て、もう、どれくらいかな…」


私がこの、摩訶不思議な江戸に、所謂トリップというものをしてきて、大分時が過ぎた。
今となっては、もうすっかりこちらの生活にも慣れて、毎日騒がしくドタバタと過ごしているが。

私のいた世界とは、全く異なった経験ができる世界に、少しずつ興味が湧いてきている今日この頃だ。


「…―――!」


物思いに耽っていると、不意に顔へパシャリ、と水が撥ねてきた。
水面の流れを眺めていた視線を水が撥ねてきた方へ向けると、そこには、ニッと悪戯っぽい笑みを浮かべる銀髪の彼。

「……冷たいからいきなり水かけないでよ、銀さん」
「だってよォ、新八と神楽ははしゃいで遊んでるし、1人でのほほんとしてるしで、銀さん寂しかったんだよ」
「あー……ごめんね」


今度は少し拗ねたように言う銀さんに、私は苦笑して返した。


「どーしたよ、? ボーッとして。……あ、いつもか」
「うん、一言多いよ、銀さん。しかも、銀さんに言われたくない」
「酷ッ! それどーいう意味?」


どうやらアイスキャンディーは食べ終えたらしい。
一口でいいから貰おうと思っていた私の計画は、無に返った。


「……で、どーした?」
「! ……んー…」


私の隣に屈みこみながら、口に銜えたままの棒を弄ぶ銀さんは、何となしに聞いてきた。
きっと、私の考えていたことに気付いて、気を使ってくれたのだろう。

優しくて、心地が良い。

私はそんな銀さんから、視線を水面へと戻した。
都会の川とは思えないほど澄み切った川の水は、陽の光でキラキラと輝いていた。


「少し……考えてた」
「何を?」
「銀さんと神楽ちゃんと新八くんの3人と知り合って、どのくらい経ったかなァ、って」
「へェー」


あまり興味なさそうに聴こえる、銀さんの返事。
見た目からして話を聞いていなさそうだが、実はしっかり聞いているのがこの人である。


「色々あったから……こうしてゆっくりしてると思い出すんですよ、銀時さん」
「そうなんですか、さん」


家族のことを考えていたことは、秘密だ。
余計な気を利かせることもないだろうし、向こうの世界へ戻る方法がない今、こちらの世界では“江戸”の住民として過ごしていたい。

まあ、そんな私の考えも、銀さんにはお見通しなのだろうが。



「……はい?」


不意に、銀さんに名を呼ばれて振り返った。
銀さんはとても優しい、体の芯から暖かくなるような笑顔を向けていて。


「俺達と逢えて、嬉しいか?」


突拍子もないその質問に、思わずキョトンとしてしまった。
そして、些かボーッとしてから、私は銀さんに向かって微笑む。




「うん―――すっごく」




そんな私に、銀さんは照れくさそうに「そうか」とだけ返した。
しばし、ぎこちないが心地の良い時を銀さんと2人で過ごしていると、少し遠くの方にいる神楽ちゃんと新八くんが、こちらに向かって叫んできた。


「銀さァん! ちゃん!」
「そんなトコいないで、一緒に遊ぶネ!」
「冷たくて気持ちいいですよー」


ちょいちょいと手招きする新八くんと、こちらに向かって走ってくる神楽ちゃんを見てから、私と銀さんは顔を見合せて笑った。


「ったく、ガキ共が。俺との甘ァいひと時を邪魔しやがってよォ…」
「まあまあ。遊んであげるくらいいいじゃん」


互いにそう呟きながら、銀さんの手を借りて私はその場に立ち上がった。
すると、神楽ちゃんが目の前にやってきて、銀さんを突き飛ばす。


「ぶおあッ!!」
「銀さん!?」


川の中へ見事突き飛ばされた銀さんは、頭の先から爪先まで、全て水に濡れてビショビショになっていた。


「神楽ちゃん、何も川に向かって突き飛ばさなくても……」
にいやらしい目を向けてるからヨ。天罰アル」
「てめっ……このクソガキィィ!! 俺がいつにいやらしい目を向けましたか!?」
「いつもネ」
「バッサリ!?」


ザバッと川から身を起こした銀さんは、少しぺったんこになった髪を振って神楽ちゃんに怒鳴った。
それが面白かったのか怖かったのか、神楽ちゃんはキャーと声を上げながら走り抜けていく。
私を置いて、水上で追いかけっこを始めてしまった2人。

……子供だなァ…銀さんも。

そんなことを思いながら、半ば母親のような気分で銀さんと神楽ちゃんを見ていたが、このままだと大喧嘩に発展しかねない。

それが、ここでの日常だ。


「ほらァ、2人ともその辺に……―――ッ、いィ?」


川の上を走りまわる2人を止めようと川の半ばまで足を踏み入れた私は、ガクリと足下が揺れたのを感じた。


(……え、嘘)


浅瀬の川なのに、何故か段を踏み外したような感覚。
そのまま、私の身体はカクリと膝を折って、川へ落ちていく。

普通ならば、いくら泳ぎがあまり得意ではない私でも溺れようのない深さの川。

しかし、何故か。
身体はどんどん、川底へと沈んでいく。


「ちょ……ッ!」


何これ!?

そう声を上げる間もなく、私はとうとう全ての身体を水へと沈めてしまった。

息ができない。
何故か、水面に上がれない。




底が、川底が―――ない。




(ッ……誰、か……!)


足下から徐々に迫ってくる闇に、私は小さく身震いした。
まるで、呑み込まれる様な感覚。


(銀……さ、んッ…!)


神楽ちゃん。
新八くん。




「―――ッ……!!」




銀さん。

薄れて行く意識の中、目の前に現れた1つの大きな掌。
いつも、助けてほしい時に差し伸べられる、温かな手。

それに必死に手を伸ばした私だったが、指先が少し触れたと感じた瞬間、私の意識は飛んでいった。





***************





「―――……? ……ッ! ぅひあァァ!?」
「おわァッ!! 吃驚したァ!」


ゆらゆらと体を揺すぶられているような感覚に、私は意識を少しずつ覚醒させた。
閉じていた双眸をゆっくりと開くと、視界いっぱいに人の顔が飛び込んできて、らしくなく声を上げて、勢いよく上体を起こした。

どうやらベッドの中のようである。

見慣れたオレンジ色を含んだカバーで包まれた布団越しに私の上へ覆いかぶさるように乗っかっていた人物は、私の声と勢いよく起きた身体に驚いて、ベッドから転げ落ちた。


「び、びっくりしたのはこっちだよ…」
の可愛い〜悲鳴聞いちった! ……てか、っくしょー、あのまま上乗っかってりゃから『おはよーのちゅー』ゲットできたのに」
「ねえ、話聞いてる?」


親父に自慢しようと思ったのによ、と言ってベッドから落ちた衝撃で痛む様子の腰を摩りながら、再度ベッドに上がってきたのは、私の双子の兄―――である。
双子と言っても、彼と私に似ているところなど1つもない(と思っている)のだが。


「毎回毎回変な起こし方するのやめてよ、君」
「変な起こし方してる覚えねェ。……あ、は朝より夜の方がいいってことか」
「うん、もういいや」


朝っぱらからニヤニヤといやらしく笑う兄に呆れて、私は溜め息を零した。
枕元にある小棚に置かれた携帯電話を開いて時刻を確認すると、8時の文字。

どうやら、寝すぎてしまったらしい。


「珍しくが起きてこねーからよ、親父がうるせーのなんの…」
「あー……お腹すいたのかな」
「だろーな。ちなみに俺も腹減った」


案の定、朝食を作ることが出来ない男が2人。
早く起きて作れ、と言わんばかりに君に催促されて、私は渋々ベッドから身を起こした。

そして、ふと。
頭の中で微かに残る夢を、思い出す。




『―――ッ……!!』




(……妙に、リアルな夢だったなー…)


顔は、はっきりとは思い出せないけれど。
一緒にいた、男の子と女の子は誰?


名を呼んだ声とともに差し出された掌は、一体―――。


そんなことを考えながら、最近やたらと同じような夢を見ているような錯覚にまで陥る自分。


「オーイ、?」
「……! あっ……え?はいはい」
「はいはいじゃなくて。ボーッとしてっと親父が騒ぎ出すぜ? 早く飯!」
「あ、うん」


一瞬意識が飛びかけていた私を現実へと引き戻したのは、そんな君の声だった。
私は慌てて、近くにあったカーディガンを引っ掴み、寝間着の上から羽織ると、君の後に続いて1階へと降りていった。










「―――
「……?」


1階へ降りて、早速朝食の準備を始めていた私の背に、不意に声がかけられた。
鍋を見ていた顔を肩越しに後ろへ向けると、そこには私と君の父である武道家―――が、胡散臭い笑顔で立っている。

……なんだ、父さんか。

私はこういった顔付きで立っている父さんは、極力相手にしないことに決めている。
その脳ミソの中の大半が、娘に絡んでくることしか考えていないからだ。


「……おはよ、父さん」
「おはよう、。今朝はまた一段と可愛いなー」
「そういう言葉は、もっと純粋で可愛らしい子に使ってあげなよ」

父さんなら、皆コロッと騙されるよ。

そう零して鍋へと再度目を向けた私。

私の父は、顔だけ見れば20代前半のホストである。(中身は完全にオヤジだが)
そんな父さんは「酷いよちゃん!」と猫撫で声を上げて、私の背中にしな垂れかかってきた。

……迷惑だ。


「自分の娘に『可愛い』と言って何が悪い!」
「別に悪いなんて言ってな―――……ちょっ、離れて。邪魔。用がないなら座っててよ」
「邪魔って、酷い!」


冷たく言い放って背中から父さんを引き離すと、父さんは泣き真似をしてその場に崩れ落ちる。
毎朝毎朝の、私達親子の日課である。

ちなみに、君と父さんの日課は『罵り合い』と『殴り合い』だ。(どんな日課だ)

もう今年で33歳にもなるんだから、しっかりしてほしいもんだ。
大体、手伝う気もないくせに台所へ来て、大きな身体で背中にひっついてくるのもやめてほしいし…。


「……はあ…」


心の中でそう愚痴を零しながら、床で転がる父さんを無視して朝食の支度を進める。
いくら春休み期間だといっても、これ以上朝食を遅らせるわけにもいかない。


ー……用ならあるんだよー」
「……」
「あれ? 聴こえてないのかな? ? さーん! ちゃァァん!! お父さんを無視ですかァァァァ!?」
「……」
「いいもん! 勝手にお父さん喋るからな!」


ガチャガチャと。朝食のおかずを乗せる皿を準備していた私の背に、父さんが喧しく声をかけているが、徹底的に無視する。
とうとう逆ギレまで始めて、1人で勝手に喋り出した父さんに心底呆れる。

が、しかし。

そんな父さんの口から、サラリと、私はとんでもない一言を聞いてしまうこととなる。




、お前の新しい学校―――お父さんが探して、決めといたから」




……。
…………はあ?

思わず手の中から滑り落としてしまった皿が、床に叩きつけられて割れてしまった。
だが、そんなことを気にする余裕など、私の頭の中に今はない。

私はギギギッ、とぎこちない動きで父さんを振り返ったまま、声も発せずに固まった。


(新しい……学校!?)


私、の人生の大きな転機は、この―――親馬鹿全開な父の身勝手から始まった。








神の救いか、悪戯か。

(どちらにしても、性質が悪い!)









*2009/11/07 加筆修正・再UP。