Nobody Knows 00
「―――……んッ……ぅ?」
背中の柔らかい感触と身体を包み込むような暖かさに、私はゆっくりと意識を覚醒させた。
目を開けると、そこには何処にでもあるような天井。
和を感じさせるそんな天井を見つめたまま、私は冴えてきた頭で先程の自身の身に降りかかった電車事故のことを思い出し、ポツリと誰に向けるでもなく呟く。
「……あの世って案外質素、というか……・普通、だなァ……」
「悪かったねェ。質素な上、普通の家で」
そんな私の呟きに、独り言のつもりが思わぬ返答が返ってきて。
私は慌てて、横たえていた上体を起こした。
あっ……ここ、布団の上だったんだ。
よくよく辺りを見渡してみると、畳敷きの和室の中心に布団が敷かれていて、私はその布団の上に寝かされていたらしい。
そして、視線を少し右隣に移すと、煙草を燻らせながら私を見下ろしている、着物姿のお婆さん。
「…………え、はい? えっ、何ですか? あの世の番人さんですか?」
「オイィィィィ!! 会話1発目にしていきなり失礼な娘だなァ!!」
驚きのあまり口をついて出た言葉に、目の前のお婆さんは物凄い形相で怒鳴ってから、煙草の煙をブハッと吐き出した。
ビクリ、と肩を(微かに、本当に微かに)震わせて、思わず私は平謝り。
というか、けむいです。
受動喫煙も立派な喫煙なんだよ、お婆さん。
「……そんなことより、アンタ。気分はどうだい? アンタ3日程前、うちの店の前に倒れてたんだよ」
「え? 店の前って……私確か……―――」
電車にはねられて、と言いかけて、私は口を噤んだ。
そう、私は確かに、電車にはねられたはずだ。
ホームに立っていた時、何かに背を押されて。
目の前まで電車は迫っていて―――今でも、鮮明に憶えている。
絶対に、助かるはずが、なかったのだ。
(でも、生きて……る……)
誰かが助けてくれた?
偶然、助かった?
―――有り得ない。
誰かが助けてくれたとしても、あの接近距離では間違いなくその人物も道連れだ。
それ以前に、私が生きている時点でおかしい。
途方もない自問自答を繰り返し、一人混乱している私を見たお婆さんは静かに口を開いた。
「……まあいい。あんなとこ倒れてたってこたァ、それなりと訳アリってこったろう? 無理に聞き出したりは私もしないよ」
「え、あ、はあ……」
気がつくと、部屋は薄っすらと煙に包まれていた。
お婆さんが腰を下ろした傍には、何本か押し潰されてしまっている煙草の吸殻が溜まった灰皿が置かれている。
私を見つけたのが3日前と言っていたということは、私は少なくとも2日間くらいは眠っていたことになる。
どうやら、目が覚めるまで傍で介抱してくれていたらしい。
「―――……ところで、アンタ名前は何てんだイ?」
「へ……名前、ですか?」
そんな時不意に、お婆さんが訊いてきた。
私は思わずおかしな声を上げて、中途半端にオウム返しする。
すると、お婆さんは何やら思い立ったように、あー、と声を漏らすと、自分から名乗り始めた。
「私はここでスナックやってるお登勢ってもんだよ。まあ、これは源氏名だがね」
「……お登勢さん?」
「ああ」
何だかレトロな名前だな。
というか、何故本名を名乗らない?
色々と突っ込みたいことがあった私は、思わずお婆さん―――お登勢さんのことをジロジロと眺める。
このくらいのお年の方ならば、着物を着ていてもおかしくはないと思うが、何だか周囲の物に目を走らせて見ると、少し古びた物が目立つような気がする。
「……で、アンタは?」
余程このお婆さんは物持ちがいいんだろう、などと私が考えていると、不意にお登勢さんが訊ねてくる。
私は慌てて我に返ると、小さく名乗った。
「えと、って言います」
「、ねェ……」
お登勢さんは煙草を深く燻らせると、ニッと口元で弧を描いて「いい名じゃないか」と言ってくれた。
名前を褒められたことが今までにあまりなかったので照れくさくて、思わずバツの悪い顔をしてしまう。
きっと私の顔はらしくなく、今、赤くなっていることだろう。(不覚だ)
……まあ、気付かれはしないだろうが。
威厳のある見た目とは裏腹に、いい人だな、と思う。
私みたいな知りもしない怪しい奴を家に入れている辺り、人の良さが窺える。(というか、普通入れない)
(―――……そういえば)
ふと、私は思う。
今更だが、ここは一体何処なのだろうか?(遅い)
私は急に、何とも言い難い焦燥感に駆られ始めてきた。
自分はここにいるはずなのに、存在するはずなのに。
でも、この空間と空気は、なんだかいつもと“違う”ように感じる。
不安が、波打つ。
そんな時。
「―――オ登勢サン、ヤッパリ連中留守ニシテルミタイデスヨ」
一人悶々と考え込んでいた私の耳に届いてきたのは、何やら日本語の覚束ない外国人のような、文字にしたら全て片仮名になりそうなほど片言な女の人の声。
その独特の口調に、私は思わず座り込んだまま腰を捻って振り返った。(これが結構辛い)
「またかい? ったく、アイツら揃いも揃って何やってやがんだか……。ご苦労だったね、キャサリン」
「イイエ」
そこには、何故か猫耳らしきものを生やした、お登勢さんのように着物に身を包んだ女の人。
……ちょっと待って。
キャサリン?
そして、私はその人―――キャサリンさんを凝視し、固まった。
だって、見た目は中年のオバサンなのに、キャサリン?
それに―――。
「……アレ? 目ェ覚マシタンデスネ」
「ああ、今さっきね。っていうらしいよ」
え、何、どういうことコレ?
いい歳こいて、皆して集団コスプレですか? (私は仲間に入らないよ)
私のことを言っているんだろうな、と頭の中で思いながらも、私の目は相変わらずキャサリンさんに向いて動けないでいた。
視線は自然と、通常耳がついているはずの顔の横を漂った後、頭についている猫耳に。
音に反応するように、ピクリ、と動くのを見て本物だと確認。(というか中年のオバサンに猫耳って……)
本物―――そう、動いているのだ。
てっきりオモチャでもつけているのかと思っていた耳が、ピクピク、機械では有り得ない動きをしているのだ。
……あ、やばい。
やっぱり、私死んだよ。
幻覚が見える……猫耳の生えた人間が見える…。
ジーッとキャサリンさんの耳を見つめていた私は、ギギギ、と機械的な動きで顔ごとそこから目を逸らすと、一人思う。
そんな私を、お登勢さんとキャサリンさんは怪訝そうに見ている。(見ないでくれ)
「―――あ、あの……」
「あ? 何だイ」
暫く続いていた沈黙が痛くて、私は渋々というか何というか。
何となく確認がしたくて、お登勢さんに訊ねる。(ちなみに顔は逸らしたまま)
「そ、その耳は……もしかしなくても本物ではないですよね?」
「もしかしなくても本物だよ。……天人が珍しいのかイ?」
……天人?
何それ。
ただ呆然と驚いている私に、お登勢さんは怪訝そうに顔を顰めながらも、その『天人』について説明してくれた。
なんでも、20年前に突如現われた宇宙人のことらしい。
天人の台頭により、侍たちは刀を失い、幕府は権力を失った―――と。
「え……侍? 幕府って……いつの時代?」
「ここは江戸だよ? 侍なんてそこら中にごまんといたさ」
学校の歴史の授業で聞いたことのあるような単語に困惑している私を、お登勢さんは怪訝そうに見て言う。
「―――……まさかアンタ、天人を知らないのかイ? どこの田舎者だイ」
「え、あ、いや、知らないというか、私のいたところでは宇宙人なんて未確認で…」
「……天人ガイナイ?」
キャサリンさんが聞き返してきたので、私はただコクリ、と頷いた。
さすがに首が疲れてきたので、顔の位置を元に戻す。
ああ……もう、諦めた。
私は今の状況を改めて確認し、溜息をつく。
先程からチラリと見える窓の外の景色とお登勢さん達の話を聞く限り、私はどうやら―――おかしなところにいるらしい。
だって、外歩いてる人達、髷とかつけてるし。
日光江戸村みたい。
私の意識はしっかりしているから死んでいる訳ではないみたいだし、目の前の2人が異常者とも言い難い。
夢かとも思ったが、夢でないことは先程から抓っている背中で確認済みだ。(贅肉が多くて困ります)
「……ここは、東京じゃ……ないんですか?」
「トウキョウ? 聞イタコトナイデスネ」
「……ああ」
「……」
ゴメンね、父さん、母さん。
君も……本当に、ごめんなさい。
どうやら私は、夢のような現実に直面してしまっているようです。
ここは、歴史で習った江戸の時代で。
だけど、宇宙人が支配していて。
……ああ、歴史の高橋先生を連れてきたら喜んだだろうか(確か趣味は歴史物散策)。
家事とかは、大丈夫かな……。
私が帰るまで、どうにか頑張って下さい―――私は当分、帰れそうにありません。
現実離れした現状にパニックを起こし過ぎて、逆に冷静すぎるくらい冷静な頭で私はそんなことを思う他なかった。
その後、いまいち状況が呑み込めていないお登勢さんとキャサリンさんに、私は一から説明を始めた。
今更言い訳をして隠しても、私の先程までの行動で怪訝に思っていたみたいで、きっとすぐにバレてしまうだろうと考えて。
電車事故に遭って、私は死んでいるはずだった事。
気がついたらお登勢さんの家にいた事。
私のいた世界では『天人』などという者はいなくて、『江戸』という時代はとうの昔に過ぎていて、ここまでの発展はしていなかった事。
―――故に私のいた世界と、この江戸の世界は違うのだろう、という事。
「……つまり、アンタは別の世界から来た、と?」
「信じてもらえないかと思うけど……多分そうだと……」
思います、と小さく呟いて、私は顔を俯かせた。
お登勢さんはというと、バーカウンターの中でただ黙って何かを考えている様子で。
静まり返った店内に、お登勢さんが煙を吐き出す音が響いた。
「―――“異界人”ッテ、本当ニイルンデスネ」
不意にそう呟くように零したのは、客席に腰掛けて煙草を燻らせていたキャサリンさんだった。
そんなキャサリンさんに「異界人?」とお登勢さんが訊ね返す。
私はお登勢さんが出してくれたオレンジジュースを口に運びながら、キャサリンさんの方へ椅子を回して身体を向けた。
「噂デ聞イタコトアリマス。世界ハ1ツジャナクテ無数ニ存在スルッテ」
その世界一つ一つは直接的な繋がりはないものの、何かしらで各々繋がっているという。
つまり、私は何らかの原因で、私の元の世界と繋がっていたこのお登勢さん達の世界に来てしまった、と。
……うわ、自分で考えてちょっと疑っちゃったよ。
キャサリンさんが(真面目に)話を終えて、また沈黙が流れた。
「……信じ、られませんよね」
ここまで話しておきながら、今更になって話したことを後悔し始めてしまった。
突然現れた意味の分からない私の話を、全て信じろという方が無理だろう。
「私自身、信じられないし……訳、分かんないし。信じられるわけないですよ、ね」
でも、それでもいいかな、などと思う私は、やっぱり自分のことだと認識できていないのだろう。
私の意識ははっきりしていて。
夢でもなく、空想でもない―――これは、ただ1つの真実で。
私がまた悶々と考えを巡らせていると、お登勢さんが溜息混じりに煙を吐き出すのが聞こえた。
呆れられた、と確信した私は、出ていく準備と言わんばかりに、コップに半分以上残っていたオレンジジュースを、ググッ、とストローで吸い上げる。
「―――アンタ、こっちに行くあてなんかないわけだね?」
「…………へ?」
ごくり、と飲み込んだジュースが身体に染みていくのが分かった。
そんな時の不意打ちの問いに、思わず私は情けない声を上げた後、少し考えてから頷く。
お登勢さんは空になった私のコップに新たにジュースを注ぐと、脇にあった灰皿に煙草を押し付けて続けた。
「3食昼寝付き給料支給で、ウチで働くってんなら、住み込みでも構わないよ」
「……え、それって……」
ここにいてもいいって、ことですか?
そんな言葉を飲み込んだ私に、お登勢さんは新たな煙草に火をつけてゆっくりと燻らせてから小さく頷く。
私はそんなお登勢さんに、不覚にも涙が出そうになった。
微かに震える、
期待と不安の波の音。
(波はひたすら押し寄せて)(私を、蝕む)
アトガキ。
*プロローグ後、目を覚ましたヒロイン。
*解りづらいながらも混乱するヒロインですが、良い人に見つけられて支えを得ました。これからバリバリ働きます。
キャサリンの台詞が読みづらいのは、御愛嬌(笑)
*2010年10月24日 加筆修正・再UP。
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