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少し肌寒くなってきた日和―――私もすっかり、万事屋に足を運ぶ癖がついてしまった頃。
相変わらず依頼に恵まれることなく、事務所で皆してぐうたらしているのかと思ったら。


「……へ? 依頼が来たの?」


私のそんな考えも虚しく。
すっかり馴染んでしまった万事屋の玄関を開けて顔を出してみると、バタバタと出掛ける身支度を整えている新八君と神楽ちゃんの姿があった。

呆気に取られてしまった私は、とりあえず万事屋の中に入ってソファーに腰掛けてから、何かあったのかと何となしに訊ねてみる。
すると、新八君が「依頼が来たんだよ!」と、少し嬉しそうに顔を綻ばせながら言った。

どうやら、久しぶりのまともな依頼らしい。


「うん、そうなんだよ。結構な御家柄の人らしいんだけど、その人の娘さんがここ1週間程家に帰って来てないらしいんだ」
「へー……人捜しってことだね」
「とにかく、詳しい事はあっちに行ってから聞くネ」


すっかり準備の整っている神楽ちゃんは、ぽけーッとソファーへ腰掛けている私の隣にピッタリ寄り添ってきて言う(可愛いなァ)。
そんな時、さっきから姿を見かけなかった銀さんが、隣の和室からいつもの着流し姿で―――何だか死人のような顔色で現われた。


「あぁー……うー……」
「?」
「……あ? ……ぁあー……」
「……」
「いや、ちゃん。何かコメントを……」


いや、コメントをと言われましても。

主に寝室として使われているらしい隣の和室から出てきた銀さんは、酷い顔色で何とも言い難い呻き声を上げながらゆるゆると身支度を整えている。
どうやら、私の存在にはまだ気付いていないらしい。(真横を通っているにも関わらず)


「えっ、と……どうしちゃったの? 銀さん」
「昨日夜遅くまで1人でお酒飲んでたんだよ」
「依頼が来ない憂さ晴らしに酒浴びるように飲んでたヨ。自業自得ネ」
「つまり……二日酔い?」


「だから目の下に隈が……」と私が苦笑していると、やっと私に気付いたらしい銀さんがヨロヨロと歩み寄ってきて、神楽ちゃんの座る反対側に腰を下ろしてきた。


だー……ー……」
「あー、はいはい。大丈夫? 銀さん」


コテン、と私の肩に頭を乗せてくる銀さんに少し驚きながらも、気遣わしげに訊ねると、銀さんは相変わらず隈の上に乗る目を私に向ける。


「駄目。無理。死ぬ」
「そんな大袈裟な……」
「ったく、二日酔いでグラグラだっつーのに、こういう時に限って依頼するたァ」


なんて野郎だ、と悪態付く銀さんだが、いつもの(おかしな)勢いはない。
というよりも、その台詞、そっくりそのまま銀さんへ返したい。
神楽ちゃんじゃないが「自業自得だよ」と言おうとした口が、思わず閉じてしまう。


「水とか……たくさん飲んだ方がいいんじゃないかな。酔い止めの薬とか、お登勢さんに貰ってこようか?」
「気ィ使うことないネ、! こんなダメ男、放っておくヨロシ」
「え……まあ、うん。そうかもだけど、これから仕事ならそうはいかないでしょ? 何かしらしてあげた方が仕事するのも楽だろうし……」


こんなに苦しそうだし。

うーうー唸りっぱなしな銀さんの様子に少し心配になってきた私は、何とか銀さんの顔色だけでも治そうと模索するが、何分二日酔いの処理法など、あまり知らない。
神楽ちゃんは何だかプリプリしながら私の腕を引っ張ってくるので、どうするべきか途方に暮れてしまった。
新八君に助けを求めようにも、彼は1人黙々と、出掛ける準備を進めている。


「あー……おい、
「? ―――…何?」


「俺―――に膝枕してもらったら、治るかも」


「…………はあ?」


そんな時、重々しく頭を上げた銀さんが、不意に私と顔を合わせたままサラリとそんなことを言ってのけた。
顔色が悪いのに、口元はニヤニヤと底意地の悪い笑みを浮かべている。




―――やられた。




二日酔いだけれど、この人のセクハラ紛いの行為は健在なのだ。


「え、あ、何? 何をしたら治るって……?」
「またまたァ、ちゃんしらばっくれちゃって。膝枕な、ひ・ざ・ま・く・ら」
「い、嫌だよ、そんなの! は……恥ずかしい!」
に拒否権なーし。銀さんは病人なんです。重症なんです。いいもーん、銀さん勝手にやるから」
「はあ!? ちょっ、待っ……!」


羞恥心から嫌がる私を完全に無視して、銀さんは半ば無理矢理私の膝の上に頭を下ろしてきた。
私が止める間もなく膝に乗る、ふわふわとした銀色の髪が何だかくすぐったい。
そして、顔を外側に向けてくれるととても私は有り難いのだが、銀さんは何故か顔を上に向けたまま、膝に頭を乗せてきて。

……は、恥ずかしすぎるよ、これッ!


「あー、いいわコレ。最高―――……、顔紅ェぞ」
「ッ……!?」


そう言って、ニタリ、と口角を上げて私を見上げてくる銀さんに、私は思わず顔を熱くする。
何とか顔には出さないように必死に抑えてはいるものの、銀さんにはそれすらも見透かされているのか、愉しげに肩を震わせて笑っている。

この人、本当に二日酔いなのか?

疑心暗鬼しながら我に返った私は、慌てて銀さんを押し返そうと手を伸ばした。
―――その時。


に何さらしとんじゃセクハラ変態天パァァァァ!!」
「ごぶァッ!!」

ゴシャッ!という鈍い、何やら砕けたんじゃないかという音と共に、銀さんの姿が私の膝の上から跡形もなく消えた。
押し返そうと伸ばした手はそのままに、何事かと思って隣を見上げてみれば、私の腰掛けるソファーの上に立ち上がって、愛用の傘を構えている神楽ちゃんの姿。

どうやら、神楽ちゃんが傘で銀さんを殴り飛ばしたらしい。


「か、神楽ちゃ……」
「大丈夫ヨ、。銀ちゃんあのくらいじゃ死なないアル」


神楽ちゃんのいる位置的に、銀さんは恐らく頭頂部で神楽ちゃんの傘の衝撃を受け止めたはず。
そう考えると恐ろしくて、銀さんが吹っ飛んだ方へ顔を向けることが出来ない(ぐしゃぐしゃだったらどーしよう)。
銀さんさようなら、なんて心の中で思っていると、不意にガバリ、と誰かが起き上がる気配。


「死ぬっつうのォォォォ!! さすがに死ぬよォ、銀さんも! 頭コレ、割れたんじゃねェのコレェ!?」
「死んでないヨ。頭は割れてるけど」
「結果的に死にそうなんですけど!?」


怒鳴り声が聞こえた方へ顔を向けると、銀さんは案の定、頭から血を垂れ流して立っていた(よく生きてるな)。
そんな銀さんに神楽ちゃんは何ともない様子で、どこから取り出したのか分からない酢昆布に吸い付きながら言ってのける。


「おまッ、ふざけんなよ、神楽ァ! 二日酔いで頭痛ェのが悪化しただろうがァ!!」
「何言うか。二日酔いの頭痛を別の痛みで緩和してやったんだヨ」
「こんな荒療治いらんわァァァ!!」
「それに、優れない顔してるから二枚目にしてやったアル。ありがたく思えヨ。もこれで銀ちゃんのこと少しは見直すかもしれないアル」
「何でそんなに上から目線? でもマジでか! 、銀さんと付き合って下さい!」
「怖い。無理。やめて。血ィ流したまま近付かないで」
「全否定!?」


銀さんは二日酔いだということも忘れて、神楽ちゃんとギャアギャア騒ぎ始めてしまった。
何故か私まで巻き込まれて、血を流したまま凄い形相で迫ってくる銀さんを押し退ける。


「いい加減にしろ、お前らァァ!!」


そんな、収拾がつかなくなってしまった私達を見兼ねて、新八君の怒鳴り声が万事屋に響いた。





***************





「―――定春ー、おすわり」
「ワン」
「よし、イイ子だねェ」


あの後。
新八君が声を上げてその場を収めてくれたおかげで、銀さんと神楽ちゃんの喧騒(暴動)は幕を閉じ、無事に依頼人の元へと3人は出かけていった。

私は一緒に行こうかと銀さん達に聞いてみたものの、あえなく銀さんの「留守番よろしく」の一言によって撃沈。
仕方なしに定春と一緒に留守番して、万事屋内の掃除などで暇を潰していたのだが。
それも済んでしまって、また暇を持て余す。

お腹を空かしていた様子の定春に餌をやって大きな頭を一撫ですると、私はソファーに腰掛けて読書に耽ることにした。
バリバリと横の方から聞こえる、定春がドックフードを噛み砕く音を気にしながら、いつもとは違う、落ち着いた時間を過ごす。


「―――……?」


そんな静かな空間に、ふと鳴り響いたのは―――インターホンだった。
ピンポーンという間延びした音に、私は読んでいた本を思わず閉じる。


「……お客さんかな。ねえ、さだは―――……あれ?定春?」


ソファーから腰を上げて万事屋内を見渡した時、定春の真っ白い毛が見えなくなっていることに気付いた。
どうしたのだろうか、と、首を傾げながらも、とりあえず来客に対応する為に玄関へゆっくりと歩いていく。


「……あ」


すると、玄関先にはいつの間に移動したのか、定春の大きなもさもさの背が見えた。
器用に玄関の扉まで開けてしまっている定春。
賢いな、などと私がボーッと考えていると、定春の向こう側から、見えない客人の声が耳に届いた。


「……すっ、すみません……銀時君いますか?」
「……」


大分客人は狼狽しているらしく、声に少し躊躇いが窺えた。
あんな常識はずれな大きさの犬が突然出てくれば、誰でも驚くだろう(私もはじめは吃驚した)。

銀さんに用事があるらしい客人は、声からして男の人らしい。
何の反応も示さない定春(犬だから当然といえば当然)に、客人はゆっくりと言葉を続けた。


「……あの……じゃあ茶菓子だけでも置いていくんで、どうぞ食べてく―――」


しかし、そんなことよりも私は、定春が出てしまったという事の重大さに、この時やっと気が付くことになる。

定春……噛む気では?


「―――ッ、定春、駄目……!」




バグン。




「「あ」」


私は慌てて定春に駆け寄ったが、時既に遅し。
間の抜けた客人と私の声と同時に、定春は客人の頭を包み込むように、ガブリ、と噛み付いていた。


「定春……」
「ウォン!」


私が背後にいることに気付いた定春は、くぐもった声で嬉しそうに一鳴きすると、客人を口からぶら下げたままこちらに振り返ってきた。


「あの、何と言うか……ごめんなさい」
「……謝罪はいいから、とにかく助けてはくれないか……」


至極楽しげな定春の声と頭の無い客人の声の違いに、苦笑することしか出来なかった。






「あの……本当にすみませんでした。頭の怪我、大丈夫ですか?」


とりあえず、日頃銀さんを流血させている定春に噛み付かれた客人を手当てする為に、定春にそのまま客人を万事屋の中へと引きずっていってもらい(酷い)、何とか定春の口をこじ開けて客人を救出した私。

軽い手当を施して、お詫びにと、向かいのソファーに腰を落ち着かせている客人に茶を出し、私も身体を小さくしたまま向かい側に腰を下した。


「いや、もう済んだことだ。気にするな」
「そ、そうですか……」


湯呑に手を伸ばしながらそう言う客人に、私はホッと胸を撫で下ろす。
どうやら、心が大変広い寛大な方のようだ。
普通、あんな大きさの犬に噛まれて負傷しながら「気にするな」とは言えないだろう。

そう考えながらも、私は何となく、改めてその客人を観察し始めた。

男の人とは思えないほど綺麗で整った顔立ちだが、声色は正真正銘男の人だ。
漆黒の長い髪も、男の人のものとは思えないほど綺麗だ。(女としては羨ましい)

ズズッ、と茶を啜って一息ついた客人は、ジーッと見つめていた私に視線を向けた。
私は何だか急に恥ずかしくなって、慌てて誤魔化すように笑う。


「あ、えと……私、っていいます」
「桂小太郎だ。言っておくが、ヅラじゃない。桂だ」
「は、はあ……」


え、私まだ何も言ってないんだけど……。

客人―――桂小太郎さんは真顔でそう言うと、また茶を啜った。
そして、湯呑をテーブルに置き、万事屋の事務所内を軽く逡巡する。


「俺は急ぎの用で銀時に会いに来たんだが……どうやら、擦れ違ったようだな」
「はい。珍しく依頼が入って。人捜しの依頼らしいんで、そう簡単には帰ってこられないと思います」
「そうか……」


困ったな、と唸る桂さん。
余程重要な用事でもあったのだろう。
表情が妙に真剣だ。

どんな用事があったのだろうかと考えを巡らせていると、不意に桂さんが私を見て言う。


殿……と言ったな」
「(殿って……)でいいですよ」
「そうか。では、。お主……―――銀時の嫁か?」
「違います」


思わぬ桂さんからの問いに、私は間髪入れずに答えてしまった。
あまりに真面目な顔で尋ねてくるので、私も思わず反射的に返してしまったのだ。


「そうなのか? てっきり、銀時の奴がとうとう身を固めたのかと……」
「私はここと下のスナックの、居候兼従業員です。銀さん曰く……秘書です」
「ほう……それで銀時に留守番を頼まれた、と。まあ確かに、銀時には勿体無いな。若い」
「? ……そうですか?」


桂さんはそう言うと、納得したのか1人で頷いていた。(何なんだ、この人)

そんな桂さんに銀さんとどんな関係なのか聞いてみると、「幼少時代からの腐れ縁」だと言う。
詳しくは桂さんが話そうとはしなかったので、私もあえてそれ以上は聞き出そうとはしなかった。

それにしても、この世界の人は皆、微妙に私の世界の歴史上に存在する人物と名前が似ている。
真選組の皆もそうだが、よくよく考えてみると銀さんの名前も『坂田金時(マサカリ担いだ金太郎さん)』とニアピンだ。

そして、この桂さんも。
確か『桂小五郎』とかいう人物がいた。
どういう人だったかはおぼろげに憶えている程度だが、明治維新後に『木戸孝允』と改名した、幕末の志士だ。


「……銀時がいないのならば仕方がない。長居は無用だな」
「……え? 帰っちゃうんですか、カツラさん」
「カツラじゃない、ヅラだ。あ、間違った、桂だ。イントネーションが違う」
「あ、すみません、つい」


私が一人、そんなくだらないことを悶々と考えていると、桂さんが茶を飲み干して立ち上がった。
あまりにあっさりとしていて、私は思わず呼び止める。


「遅くなるとは思いますけど、今日中には帰ってきますよ?」
「ああ、そうだろうな。しかし……俺も忙しい身だ。ここにいることを面倒な連中に勘付かれても困るしな」
「……?」


何だか意味深な桂さんの言葉に首を傾げていると、不意に何か電子音のようなものが耳に届く。
私が不思議に思って辺りを見渡していると、「失礼」と言って立ち上がった桂さんが自分の着物の懐を、ごそごそと探っているのが見えた。


「―――もしもし、桂だ」
「……」


桂さんが懐から取り出したのは、紛れもない携帯電話。
この世界にも携帯電話があることは前々から知ってはいるが、着物姿の桂さんと携帯電話のアンバランスさに、思わず顔が引き攣った。


「……そうか、やはりな」


かかってきた電話に応対していた桂さんの表情が、キュッと引き締まった。
一体何を話しているのか、桂さんについて何も知らない私には見当も付かないが、何か大変なことがあったというのは、何となく感じ取れる。


「分かった、俺もすぐに戻ろう。ご苦労だったな。……ん? まだ何か―――……何!?」


ふと、桂さんの顔付きが更に険しくなったかと思うと、少し声を荒げる桂さん。
その声に驚いて桂さんを見つめていると、桂さんもチラリと私の顔を窺って、電話越しに何やら色々と指示し始めた。

何が起きたのかは分らなかった。
けれど、何故だかとても―――嫌な、予感がした。

チラリと、一瞬目が合った桂さん。
そこから微かに汲み取ることが出来た、不安。

私は思わず、ソファーから腰を浮かせて桂さんに歩み寄っていた。


「あの、どうしたんですか……?」
「……」


通話を終えた様子の桂さんにおずおずと尋ねると、桂さんは眉間に少し皺を寄せた神妙な顔付きで、私を見下ろしてきた。




『じゃあ、行ってくるネ』

『ちょっと行ってくるね、ちゃん』

『留守番よろしくなァ、




―――何で。


「……ッ」


どうして、今、今朝方、家を出ていった3人の顔が、浮かんだ―――?


「……」
「……、お主、ここにいるということは、銀時とは親しいんだろうな」
「……は、い」


桂さんがあまりに静かに言葉を紡ぐからか、私の声も少しずつ掠れているように感じる。
桂さんは私をジーッと見降ろしたまま、相も変わらず静かに口を開く。




「俺の仲間からの連絡だった……―――負傷した銀髪の侍と娘を、拾ったそうだ」








初めて感じる、

想いがあった。


(ひどく苦しい、気持ちだけれど)









アトガキ。


*攘夷志士・桂との出逢いと、原作沿いに入って早速騒動に巻き込まれるヒロイン。

*とうとう原作へ突入。
 出会い編が妙に……妙に長かったので、原作は途中からスタート。桂さんとヒロインを絡ませたいが為に、この『春雨編』から始まります。

 



*2010年10月29日 加筆修正・再UP。