親思う心にまさる親心。 04
今日の江戸は、昼間から大きな賑わいを見せている。
空には盛大に祭りを知らせる音が響き渡り、いつものかぶき町の通りも、祭りを目指す人々で溢れていた。
「、準備は出来たのかイ?」
そんな様子をお登勢さんの店の中からぼんやりと見つめていたら、お登勢さんのそんな声が背に届いた。
私はお登勢さんに振り返ってから、はい、と頷いて笑う。
とうとう、記念式典の祭り当日が来てしまった。
結局、昨日万事屋メンバーと私も手助けしながらカラクリを組み立て続けたものの、あと少しと言ったところまで来て、作業はお開きとなってしまっていた。
今日はというと、早いうちから銀さんと神楽ちゃんと新八君の3人が河川敷へ向かって行ったのだが、果たしてカラクリ芸お披露目本番までに間に合うのか。
少し不安である。
「すみません、お登勢さん。お店の方手伝えなくて……」
「何言ってんだイ、気にすんじゃないよ。江戸の祭りなんて初めてだろ? 折角なんだし、楽しんできな」
「ドーセ皆祭ニ行ッチャッテ、今日ハ客モ少ナイヨ」
「そうそう」
そして、お登勢さんの言うとおり、江戸―――というよりも、この世界の夏祭り初参戦な私は、銀さんと神楽ちゃんのダダこね(我が儘)とお登勢さんの粋な計らいによって、スナックの手伝いもそこそこに祭りへ行くこととなっていた。
元々それほどまでこういった行事に執着・関心のない私なのだが、基本、人に誘われれば足を運ぶ。
私の世界でも、夏になると近所で必ず祭りは催されていたし、それに浴衣を着てよく行っていたことも憶えている。
私の世界で語られていた歴史上の江戸とは訳が違う世界ではあるが、どこでもこういったイベントは共通らしく、何だか胸が躍った。
「―――それじゃあ、そろそろ行ってきます」
そんな、祭りに対する期待半分言い知れぬ不安半分を抱えたまま、私はそう言ってお登勢さんの店を出た。
格好は、きちんと着込んだ着物である。
今着ているのは、青紫に川の流れが表現されたような濃縹色の模様が入った、夏仕様の涼しげなデザインの着物で、実はお妙さんと出掛けた際にお妙さんの勧めで買ったものだった。
いつも通りの着流しでいいと私は言ったのだが、「着物で行きな。情緒がない」とお登勢さんに一刀両断され、渋々、手間取りながらも自分で着付けたのだ。
私としては、例の頬の傷が完治してからの方が格好付くような気がしていたのだが、周りの人はあまり気にしないらしい。
―――ちなみに、頬の傷は現在、大きな絆創膏で止めるだけの状態まで良くなっている。
とにかく、それならばと、折角なのでこの着物を選んだわけなのだが。
やっぱり、動きづらい。(いつもそれだな)
いつまで経っても私は着物を着ることに慣れることはないだろうな、などと考えながら歩いていると、いつの間にか河川敷まで出ていた。
もうすっかり、この景色も見慣れてしまったものだ。
私の今いる道と川を挟んで反対側の道を繋いでいる木造の橋の上で、楽しげに子供達が駆けていく。
祭りを楽しみにしている子供達の顔は自然と笑顔で、私も何だか和やかな気持ちでそれを見つめながら歩いていた。
その時。
「綿菓子ィィィ!!」
祭りにはしゃぐ子供にしては低音な、声変わりをとっくに済ませた男の叫び声。
明らかに大人の男が叫ぶべきものではない名称が耳に届いて、思わずそちらに目を向けると、ガンッという鈍い音と共に、見知った人物が河川敷の砂利の上でうつ伏せに倒れているのが見えた(何だか凄く恥ずかしい。私が倒れているわけじゃないのに)。
「仕事ほったらかしてどこへ行く!? 遊んでねーで仕事しろ、仕事!」
河川敷には、昨日同様平賀さんの姿があった。
自身の投げ付けたスパナで倒れ伏す銀さんに向かってそう強く指示し、「時間がねーんだからよォ」と愚痴を零す平賀さん。
その様子を見て、ひどく悲しくなったのは私だけだろうか。(もういい大人なのに、銀さん)
とりあえず、後頭部に工具を受けてピクリとも動かない銀さんを無視し(酷い)、私はその横を通り抜けて、作業をする平賀さんとそれを手伝う新八君へ歩み寄る。
「こんにちは、平賀さん」
「! ……おう、嬢ちゃんか。今日も来たのか?」
「はい。気になってたんで……新八君もお疲れ様ー」
「うん、お疲れ、ちゃん」
早くも始まった祭りから漂ってくる甘い匂いに引き寄せられていたどっかの誰かさんとは違って、新八君は汗を流しながら平賀さんの手伝いをしていた。
本当、いい子だな、新八君は。
どっかの誰かさんと違って。(2回目)
「何かお手伝いしましょうか?」
「いや、いい。もう大分出来上がってる。それに、折角めかし込んでるってーのに汚すわけにゃいかねェだろ?」
「え? ……あははは」
何か手伝おうかと思っていたのだが、カラクリ達は平賀さんの言うとおり、昨日より大分形を成してきていた。
きっと新八君が頑張って手伝っていたのだろうと思いながら、着物姿の私に気を遣ってくれる平賀さんが忙しなく動かしている手を見つめて苦笑していると、不意に新八君が溜め息交じりに言う。
「―――平賀さん、もう祭り始まっちゃいましたよ。手伝いに来たけど、もうコレ間に合わないんじゃ……」
「カラクリ芸を将軍に披露するのは夜からよ。夕方までにどーにかすりゃ何とかなる。大体片付いたしな」
「じゃあ間に合うんですね。……よかった」
新八君の疑問に平賀さんは焦った様子もなく言った。
私はそれを聞いてひとまず安心と、溜め息をつく。
「しらばっくれるんじゃないわよ!!」
「!?」
「……ん?」
そんな時、ふと平賀さん達から視線を外した先から、何だか昼の連続ドラマを連想させるような怒鳴り声が聞こえてきた。
そして、そちらに目を向けて見ると、そこには、互いに向き合って何やらままごとらしきことを行っている神楽ちゃんと三郎さんの姿。
「アナタ、私が何も知らないと思ってんの!? コレ、Yシャツに口紅がベットリ! もう誤魔化せないわよ!」
「御意」
子供のままごとにしては幾分シリアスな展開が繰り広げられているようで、明らかに神楽ちゃんが一方的に三郎さんを付き合わせているのだが、何だか本人達は楽しんでいるように見えなくもない(どっちだ)。
よくよく見てみると、マジックか何かでチョビ髭やら何やらを書き加えられてしまったらしい三郎さんの身体を、渾身の怒りの演技に任せてゴゴゴゴと持ち上げる神楽ちゃん。
仮想夫婦喧嘩がヒートアップしてきたところで、慌ててそれを平賀さんと新八君が駆け付けて制止する。
「相手は誰よ!? さち子ね! 新築祝いの時に来てた、あのブサイクな部下!」
「止めろって! なんてドロドロなままごとやってんだ!!」
「アナタにとってはままごとでも、私にとっては世界の全てだった!」
重い内容だなー、神楽ちゃんのおままごとは。
「……銀さん起こそう」
今にも地面へ三郎さんの巨体を叩き付けんばかりに熱の入ったままごとに没頭してしまっている神楽ちゃんを、必死になって平賀さんと新八君が止める。
その様子を暫く見届けた後、私は1人呟いて河川敷に倒れたままの銀さんへ歩み寄る。
白目を剥いたままの銀さんの傍に腰を下ろし、横たわる銀さんの身体を揺すりながら神楽ちゃん達の様子を眺めて。
この状況ですら日常で、平和だな、なんて思っている間に、陽は落ちていった。
すっかり陽も暮れて、空はすっかり橙色に染まっている。
祭りもいよいよ一番の盛り上がりを見せる中、ようやく平賀さんのカラクリ達は完成した。
「何とか間に合いましたね。まァ、ところどころ問題はあるけど」
「ケッ……元々てめーらが来なけりゃ、こんな手間はかからなかったんだよ。余計なことばっかりしやがって、このスットコドッコイが」
「ははは……確かに」
心底安心したように言う新八君に平賀さんが毒づいて、私は思わず苦笑した。
確かに、新八君が1人懸命に手伝っていただけで、銀さんは綿菓子、神楽ちゃんはバイオレンスおままごと。
私に至っては大して手伝えることもなく、しかも着物で来てしまったが為、逆に気を遣わせてしまってあまり手伝えなかった。
しかし、そんな平賀さんに、不機嫌そうに頭を掻きながら銀さんが言う。
「公害ジジイが偉そうなこと言ってんじゃねー! 俺達ゃ、ババアに言われて仕方なく来てやったん……―――!」
そう文句を付けかけた瞬間、それを遮るように銀さんへ投げ渡された小さな袋。
その中には、袋がパンパンに腫れ上がるほどの小銭が詰められていて、思わず銀さん達も私も目を丸くする。
「最後のメンテナンスがあんだよ。邪魔だから祭りでもどこでも行ってこい」
平賀さんなりの、手伝ってくれた銀さん達に対してのお礼なのだろう。
そう言って私達に背を向けた平賀さんを見た後、新八君と神楽ちゃんは嬉しそうに顔を緩ませた。
「ありがとう、平賀さん!!」
「銀ちゃん、も、早く早く」
「ぅ、わっ……!?」
呆然と立ち尽くしていた私の手と銀さんの腕を掴んで、神楽ちゃんは勢い良く引っ張りながら急かした。
思わずよろけそうになるが何とか持ち堪えて、小走りで神楽ちゃん達の後に付いていく。
「わーった! 行く、ちゃんと行くからそんな引っ張んなって!」
「か、神楽ちゃん落ち着いて……」
「むー……分かったアル」
祭りが嬉しくてうずうずしながらも、銀さんと私を引っ張る手を離して大人しくなった神楽ちゃん。
それを見て思わず口元を緩ませた後に、横目に銀さんと目を合わせて、うんざりしたように見える銀さんの目が満更でもなさそうだったので、私はそのまま神楽ちゃん達の後を付いていった。
和やかで温かく心地良い雰囲気の中、祭りへの期待で胸を躍らせていた私は、橋の上から私達と平賀さんの様子を窺っていた“影”に、気付かなかった。
「銀さん、綿飴食べたいんだよね? 買ってくるから、平賀さんと飲んでていいよ」
「おっ、マジでか。やっさしー」
「その代わりあんまり飲みすぎないでね」
活気溢れて賑わう祭りの中、江戸の人々があちらこちらにひしめき合う。
多く夜店が出ている中の1つである焼き鳥屋台に腰を落ち着かせた銀さんと、結局三郎さんと共に合流することになった平賀さんを置いて、私は神楽ちゃんと新八君、そして三郎さんと共にすぐ傍の綿菓子の出店へ向かう。
「神楽ちゃんと新八君も食べる? 綿飴」
「そんなフワフワしてすぐ無くなっちゃうような甘っちょろい食べ物いらないヨ! まずは焼きトウモロコシがいいネ!」
「神楽ちゃんからしたら何でもすぐ無くなっちゃうでしょ……―――僕も林檎飴買うからいいよ。銀さんの分だけ買ってきちゃえば? ちゃん」
「分かった。じゃあ、2人も買ってきちゃいなよ。私はこれ買ったらすぐ銀さんと平賀さんのところに戻るから……1人で大丈夫」
「分かったアル!」
綿飴の店の前まで来て2人に訊ねると、2人とも別のお目当てがある様子。
私が言って促すと、三郎さんに肩車された神楽ちゃんとその横に並ぶ新八君は、ウキウキとした表情でこちらに手を振りながら、別の場所へと向かっていった。
私はとりあえず、特にこれと言って食べたい物もなかったので、ついでに自分の分もと綿飴を2つ購入した。
よく分からないが、お店のオジサンがいい人だったのか、2本買ったのに1本分の代金でいいとオマケしてくれた。
……ああ、江戸っ子っていいな。(太っ腹というか何と言うか)
粋なオジサンの声に送られ、綿飴を手に銀さんの元へ向かうと、何やら平賀さんと2人で話し込んでいる様子だった。
「―――今にして思えば、あの頃が1番楽しかったかもしれねーな」
平賀さんの静かな声が、語っていた。
おそらく昔のことを振り返っているのだろうその物言いは、そのまま続く。
昔は何も考えず、ただ純粋に好きだという気持ちから弄っていたカラクリ。
『江戸一番の発明家』と称されてから、そんなカラクリは平賀さんにとって何かを得る手段へと変わっていってしまったと。
そして、息子さんはそんな平賀さんに反発し、家を飛び出していったらしい。
どこか感慨深げに話している平賀さんを見て、私は声をかけることなく銀さんの隣へ静かに腰を下ろした。
それを横目にチラリと見た銀さんとは目を合わせずに、私は話が終わるまで待とうと、賑わう人の波を、自分の綿飴をチビチビと摘まみながらジーッと見つめる。
「……そういやお登勢から聞いたが、てめーも戦出てたんだってな」
「あん?」
と、話が平賀さんから銀さんへと変わる。
桂さんやその他の人達から、銀さんが攘夷戦争と呼ばれている戦に参加していたことは聞いていたので、今更真剣になって聞くこともないのだが、自然と銀さんの声に耳を傾けている自分がいた。
そう言えば、結構な時間を銀さん達と過ごしていたのに、銀さん自身の口から聞くのは、これが初めてかもしれない。
「戦っつっても、俺のはそんな大層なもんじゃねーよ」
20年前、この世界の江戸に天人が襲来した頃には、侍達も見慣れぬ宇宙人の襲来に総力を上げて戦っていた。
しかし、その頃はまだ銀さんも子供で、その後の10数年に渡る散発的なゲリラ戦に参加していただけだという。
「まァ、それでも、たくさん仲間が死んじまったがな」
何気なく、焼き鳥の串を銜えながら言う銀さんの隣で、思わず綿飴を摘む手が止まった。
止まってしまった手を何となく下げて膝の上に置くと、自然と視線まで下へ落ちていく。
ああ、まただ。
この、言い知れぬ疎外感に勝手に捕らわれて、哀しくなっていく自分がいる。
「……敵を取ろうとは思わんのか?」
「あ?」
「!」
不意に、平賀さんがしわがれた声を数段低くして、そう零した。
それに思わず訝しげな声を上げる銀さんに続いて、私も反射的に顔を上げて平賀さんを見る。
ゴーグルで隠れてしまった顔は、何を考えているのか何を思っているのか、何を感じているのかも分からない。
「死んでいった中にかけがえのない者もいただろう……―――そいつらの為に、幕府や天人を討とうと思ったことはねーのか?」
それは、まるで。
自分自身のことを言っているかのようで。
「……ジーさん、アンタ」
「あー、いかんいかん。徹夜明けの酒はやっぱりきくわ」
それは銀さんも感じ取ったようで、声をかけようとした途端、平賀さんはその言葉を遮るように立ち上がる。
「最後の調整があるから、俺ァ戻るわ―――オーイ! 三郎行くぞォォ」
そう言い残して人波の中に紛れていった平賀さんの背を、銀さんはいつになく神妙な顔付きで見送っていて。
そんな銀さんの隣で、私は1人、呆然としてしまっていた。
「……」
平賀さんに初めて逢った日、お登勢さんとの会話を聞いた時に抱いた、あの、嫌な予感。
ここ数日薄れていたそれが今、ゆっくりと浮き出してきた。
あの口ぶりは。
あの背中は。
あの、黒い何かを秘めたような、重苦しい雰囲気は。
何故か、右頬の治りかけているはずの傷が疼いた。
「―――?」
「! ……え、あ……は、はい?」
深く深く沈みかけていた私の意識を引き摺り上げたのは、銀さんの私を呼ぶ声と、ひょっこりと視界に入ってきた顔だった。
思わず目を丸くしたまま暫し固まってしまったが、慌てて「何?」という風に首を傾げて見せる。
すると、銀さんはムスッとしたような訝しむような表情で私を見ると、続いて呆れたように溜め息をついて言う。
「なんちゅー顔してんだ、お前」
「……え?」
「折角の祭りで、そんな泣きそうな顔しちゃいけませんよォ?」
いつものふざけた調子で言うと、銀さんはグニッと私の左頬を摘まんで軽く引っ張った。
それを払うことなく、ただボーッと受け止めていると、「本当に大丈夫か?」と銀さんが心配そうに聞いて来た。
それに私は何とか平静を装ってヘラリと笑って誤魔化して、銀さんに綿飴を1つ差し出す。
「はい、綿飴」
「……サンキュー」
銀さんはどこか納得のいかなそうな表情ではあったものの、小さくそう呟いて綿飴を私から受け取ると、その場から腰を上げた。
不思議に思って銀さんを見上げると、銀さんはいつもの気だるげな表情で私を見下ろして言う。
「行くぞ、」
「……え?」
「神楽と新八は2人で好き勝手回ってんだろ? どーせ暫く戻らねェんだろーし……お祭りデートしようぜ」
「…………は」
「ほれ、さっさと立つ!」
突然の銀さんからの申し出に、情けない顔をして情けない声を漏らす私。
そんな私の腕を掴んでその場から立たせると、銀さんは綿飴を頬張りながら空いた手を私の手と繋いだ。
「銀さん色々頑張ったし、これくれー楽しんだっていいだろ?」
「……河原で気絶してた人の台詞じゃないね」
一瞬、銀さんの大きくて筋張った手が私の貧相な手を包んだのを見てすごく恥ずかしくなり、思わず振り払おうかと思ってしまったのだが。
思いの外その掌が暖かくて、不安で凍っていた気持ちが溶かされていくのを感じ、憎まれ口を返しながらも私はそのまま大人しく手を引かれることにした。
人波に乗って、とりあえず適当に歩いて行く。
焼きそばだのたこ焼きだのの食べ物系から、金魚すくいだの射的だのの娯楽系まで幅広くたくさんの店が並ぶのを、キョロキョロと忙しなく見渡していく。
すると、そんな中で見慣れた黒い制服を目にして、私は思わず足を止めた。
そんな私の手を掴んでいる銀さんも必然的に足を止めることになり、突然進まなくなった私を不思議そうに振り返る。
「どした?」
「いや……真選組の人がいたみたいだったから」
「……あー、そりゃそうだろ。天下の将軍様が来てるわけだしな」
大方、警備か何かに駆り出されたんだろ。
興味なさそうにそう言う銀さんに、私は、へぇ、と小さく返した。
正直、『将軍様』と言われても歴史の教科書で見てきたものしか知らない私にはあまりピンとこないのだが、やはり将軍様がいるということはそれなりに大変なことのようである。
「―――あっ! ちゃん、旦那ァ!」
「「?」」
ちらほらと見える黒い制服の人達に向かって心の中でエールを送り、また足を進めようとした時、突然前方から見知った人物が手を振りながら近付いて来る。
それは、今しがた見かけた黒い制服を身に纏い、手に何やら持っている―――山崎退君だった。
「やっぱり旦那達も来てたんですね、祭り」
「おー。祭りと喧嘩は江戸の華、ってな。……そーいうオメーはこんな時も仕事か? 大変だねェ、お役人サマは」
退君が目の前で立ち止まると、一瞬銀さんは面倒臭そうな顔をしたけれど、すぐにいつもの表情で軽口をたたく。
退君はそれを苦笑して返すと、手に持っているもの―――たこ焼きの並んだパックからたこ焼きを1つ摘まんで口の中に放り込んだ。
……何故、公務中にたこ焼きを食べているのだろうか、この人は。
「……退君、そのたこ焼き……」
「コレ? 実は将軍様がたこ焼きが食べたいって仰ったらしくて、副長に買いに行かされちゃってさー……あ、ちゃんも食べる?」
「いや、将軍様のたこ焼きを何故平然と退君が食べてるの」
爪楊枝にたこ焼きを1つ突き刺して私に差し出す退君にツッコむものの、退君はいつもの爽やかな笑みで「大丈夫大丈夫、少しなら」とたこ焼きを勧めてくる。
数えるほどしか普通は入っていないたこ焼きに『少し』も何もないのだが、最早そんなことを言っても目の前の彼には伝わらないだろう。
「はい、ちゃん」
「……うーん……」
とりあえず、目の前に差し出されたたこ焼きをどうするべきかと考えて見つめていた時、不意に、隣の銀さんが動いた。
私の口元の高さに下げて構えられたたこ焼きを、腰を折るようにして屈み、普段は見せない俊敏な動きで銀さんが素早く掻っ攫って行ってしまう。
勿論、口で。
「ああああああ!! たこ焼きィィィィ!!」
「……銀さん」
「んー、うめーな結構」
たこ焼きを食べられたことが余程ショックだったのか、退君の悲痛な叫び声が響く。
突然の出来事に呆れて隣の銀さんを見ると、モグモグとたこ焼きを味わった後、何ともないように感想を述べる。
たこ焼きがなくなった爪楊枝の先を見つめ続ける退君が、何だか哀れでならない。
「旦那ァ、酷いッスよォ……(折角、ちゃんと……)」
「うるせェ、テメーの腹は読めてんだよ」
「旦那だって、ちゃっかり手なんか繋いでるじゃないですか」
「俺は良いんだよ。なァ、チャン?」
「……うん?」
何か退君の思惑を見破ったらしい銀さんだが、私は全くと言っていいほど意図が読めないので、とりあえず首を傾げて返した後、退君に残りのたこ焼きは取っておくように忠告しておいた。
きっと将軍様の元に届く頃には、すっかりたこ焼きは無くなってしまっているだろうが。
「……そう言えば、真選組は将軍様の警備だってね。大変だね、隊士さん達も」
「そうなんだよ。だから今日は朝から忙しくって……―――あ! そうだ、ちゃん、ちょうど良かった!」
「?」
何気ない私の言葉に応じていた退君が、突然声を上げて私を見る。
何かを思い出したような物言いに、訝しげに首を傾げて返す。
退君は突然私の耳元に近付いて、銀さんには聞こえない程度の小さな声で囁きかけてきた。
「実は、将軍の警備に就いてる理由があってね」
「理由?」
「おい、何2人で囁き合ってんだ。隣にいる俺を差し置いて密談ですか」
「旦那がいるし、あんまりデカイ声じゃ言えないんだけど……」
「おい、無視かテメーら。こんな至近距離にいるのに銀さんを無視か」
私と退君の会話が聞こえないのか、余計な茶々を入れてくる銀さんだが、それを全部無視して、退君が言う。
「―――高杉が、将軍を狙ってこの祭りに来てるかもしれないんだ」
鳴り響く。
祭りの音と、警告。
(頭の中まで)(どちらも、喧しいくらいに)
アトガキ。
*鎖国解禁20周年の夏祭りの始まりと、予感。
*いよいよ、ようやっと、お祭り本番まで辿り着けました。山崎を出したのは、銀さんと回っている間の様子を書きたかったからです。だから、ついでに高杉さんを警戒して警備していることをヒロインに伝えてもらおっかなーと。
このおかげで、ヒロインは平賀さんのことの他に高杉さんのことも気にし始めちゃいます。一人で悶々とします。そして、それを感じ取った銀さん。
次回は、いよいよ、ヒロインが気にかけている”獣”との再会。
*2010年11月2日 加筆修正・再UP。
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