親思う心にまさる親心。 01
夏場の江戸は、今日も変わらず賑わいを見せている。
河川敷へ目を移すと、子供が互いに水をかけ合ってキャッキャッと声を上げて遊んでいるのが見えた。
とても、穏やかな陽気である。
最早この坊主姿も慣れたもの。
通行人の誰一人として、橋の上に腰を下すその男を指名手配犯だと気付かないほどだ。
橋の上に胡坐をかく坊主―――桂小太郎は、ふと視界の端に何者かの足を捉えた。
草履に、派手な柄の着物の裾が目に入った桂は、頭に被った笠の下で視線を動かす。
「―――誰だ?」
聞くまでもないと思ってはいたものの、桂はとりあえずその足の主に訊ねた。
桂の問いに対して、足の主は喉の奥で笑って返す。
「ヅラぁ、相変わらず幕吏から逃げ回ってるよーだな」
「ヅラじゃない、桂だ」
桂は相手の声に聞き覚えがあった。
それどころか、『ヅラ』と呼ばれた時点で確信付く。
自分のことを『ヅラ』などと呼ぶのは、昔馴染みで共に戦場を駆けた戦友達やそれに関わる人間である。
そんな中で、派手な着物を着て自分と同じように帯刀する人物は、1人。
「何で貴様がここにいる? 幕府の追跡を逃れて、京に身を潜めていると聞いたが」
「祭りがあるって聞いてよォ……―――」
いてもたってもいられずに来てしまった、と愉快気に語るその男―――高杉晋助は、キセルを手に、ニッと口元を歪めた。
そして、ふと、今思い出したかのように小さく漏らす。
「……まあ、少し前から来ちゃあいたんだがなァ」
「何?」
不意に高杉が零した言葉に、桂は小さく眉を顰める。
横目に高杉の横顔を窺うと、心底愉しげに口元が歪んでいた。
「ちょっとした“探し物”をしに来たんだが、それとは別に面白ェ物を見つけてよォ」
「……」
「大した“獣”携えてやがったぜ、アイツぁ……」
時折、愉快そうに喉を鳴らす高杉。
それを見て、桂は余程嬉しいことがあったのか、否、“お気に入りの物”でも見つけたのか、と考える。
桂は1つ溜め息をつくと、視線を自分の手元へ落として忠告するかのように言う。
「祭り好きも大概にするがいい。貴様は俺以上に幕府から嫌われているんだ―――死ぬぞ」
「よもや、天下の将軍様が参られる祭りに、参加しないわけにはいくまい」
「!」
高杉の口から呟かれた言葉に、桂は思わず顔を顰めて高杉を見上げた。
キセルを加えたその男は、ただ口元を歪めていた。
「お前、何故それを? まさか……」
「クク、てめーの考えているような大それたことをするつもりはねーよ。だが、しかし」
面白ェだろーな、と高杉は続ける。
「―――祭りの最中、将軍の首が飛ぶようなことがあったら、幕府も世の中もひっくり返るぜ」
不敵に、どこか愉しげに声を上げて笑うかつて共に戦場を駆けた戦友を見上げて、桂は不安を感じずにはいられなかった。
騒がしい祭りになりそうだ。
***************
「コラぁぁぁぁぁ!! クソジジイぃぃぃ!! 平賀、テメッ出て来いコノヤロォォォォォ!!」
かぶき町内某所、『源外庵』―――。
そう文字が刻まれて掲げられた看板をボーッと見上げている私の隣で、上司のお登勢さんが険しい表情で怒鳴る。
私はそんなお登勢さんにただただ驚き、それに煽られてワーワー騒ぎ出したかぶき町町内会一同様方にも驚き、そして1人溜め息をついた。
近所迷惑になっていないだろうか、これ自体が。
ここはかぶき町内にある、小ぢんまりとした小工場『源外庵』。
なんでも、ここから昼夜問わず毎日のように発せられる騒音に嫌気がさしていたお登勢さん達かぶき町町内会一同は、とうとう堪忍袋の緒が切れてしまって、抗議へと乗り出したらしい。
今日も1日、スナックとその上の階にある万事屋を行き来しようとしていた私は、お登勢さんの「ついてきな」という一言によって、否応なく、この騒ぎに巻き込まれる羽目になっていたのだった。
「てめーはどれだけ近所の皆様に迷惑かけてるか分かってんのかァァ!!」
「昼夜問わずガシャコンガシャコン! ガシャコン戦士かてめーはコノヤロー!!」
「ウチの息子なんてなァ、騒音で気ィ散っちゃって受験落ちちゃったぞ。どーしてくれんだオイ!!」
町内会一同の悲痛な訴えは、ガシャコンガシャコン、と絶え間なく響く作業音に見事に混じり、騒音を際立たせた。
私は怒りに任せて叫ぶ町内会一同の言葉に対し「叫ぶ声も迷惑かと……」、「ガシャコン戦士ってどんな喩えですか」、「受験落ちたのは八つ当たりでは……」などと、心の中で律義にツッコんでいく(声に出すと反応が怖いから言わない)。
そんな人々の訴えに対して、『源外庵』の住民であり騒音の元凶である“平賀”という人物は、一向に作業を中断して姿を現す気配もない。
……寝てるんじゃないのか?
いや、この騒音の中で寝られるはずないか。
作業音みたいだし……。
「……出てきませんね、お登勢さん」
「ったく、あのクソジジイ……。江戸一番の発明家だか何だか知らねーが、ガラクタばっか作りやがって」
お登勢さんの「ガラクタ」という言葉を聞いて、何となく源外庵の敷地内を逡巡する。
確かに、常人から見たらとてもじゃないが役に立ちそうなものを作っているようには見えない。
粗大ゴミよろしく、そこら中にはゴミが山のように積み上げられていた。
「私らかぶき町町内一同も我慢の限界だ。今日こそ決着つけてやる」
「決着って……何する気ですか」
「まあ、見てりゃ分かるよ……―――オイ、ヤロー共、やっちまいな!!」
煙草を一度燻らせたお登勢さんは、キッと鋭い顔付きで肩越しに後ろを振り返った。
「……?」
それにつられるように私も後ろを振り返ると、そこには―――最早見慣れた3つの人影。
ザッ、と足音を立てて現れたのは、万事屋メンバーの3人だった。
「……ぎ、銀さん? 新八君と神楽ちゃんまで……」
何をしているのか、と訊ねようと思ったが、万事屋3人がそれぞれ抱えているものが目に入って、思わず口を噤んだ。
新八君と神楽ちゃんが抱えているものは、何故かスピーカーである。
一体どこから持ってきたんだ……。
そして、もう1人、万事屋のリーダーである銀さんは、スピーカーを抱えた2人の間でラジカセを肩に担いで歩いてくる。
3人は私とお登勢さん達の前に進み出ると、それぞれ抱えていた物を地面に下ろす。
すると、どこからともなくマイクを取り出す新八君。(どこから出したんだ今)
「おい、。耳塞げ」
「……へ?」
そんな新八君を確認した銀さんが、自身の担いできたラジカセのスイッチを押しながら、近くに茫然と突っ立っていた私に向かって言ってきた。
何が何やら訳が分からないが―――いい予感はしない。
「ほれ、早くしろ」
「?」
ラジカセに繋がったスピーカーからは、どこかで聴いたことがあるような気がする曲のイントロが流れ始めていた。
それにお登勢さん達が首を傾げる中、銀さんは目の前までやって来て素早く私の両手首を掴み、そのまま両耳を塞ぐように耳まで持ち上げて促す。
「あ、あの……」
「はいはい。話は後で」
ちゃんと塞げよー、と言われて、仕方なく両掌で耳を塞ぐ私を確認し、銀さんと神楽ちゃんも耳に指を突っ込んで音を遮断する。
一体何が始まるというのか。
……というか、何をする気だ、この人達は。
「1番、新宿から来ました、志村新八です。よろしくお願いします」
「!!」
イントロの中、新八君のそんな言葉が聞こえた瞬間だった。
『―――お前ェそれでも人間かァ!! お前の母ちゃん何人だァァ!!』
「ッ!?」
ワァン、という反響音と共に奏でられるその歌詞と新八君の凄まじい歌声に、私は心底驚いて、思わず肩をビクリと震わせた。
辺りにはガシャコンガシャコンという作業音よりも大きい、新八君の摩訶不思議な歌声(失礼)が大音量で響き渡り、私だけではなくお登勢さん達まで耳を塞ぎ、悲鳴を上げ始める。
「おいィィィィィ!! ちょーちょーちょー、ストップストップストップ!」
新八君に申し訳ないと思いながらも、耳を塞がずにはいられない。
そんな私の横から、突然の出来事に心底慌てたお登勢さんが銀さんへ向かって手を伸ばし、制止の声をかけた。
「オイ、止めろコラ。てめっ、何してんだコラ。私は騒音止めてくれって言ったんだよ! 何だコレ? 増してるじゃねーか。2つの騒音がハーモニー奏でてるじゃねーか!」
どうやら、お登勢さんは前もって万事屋に『源外庵』の騒音について依頼をしていたらしい。
しかし、まさかこんな強硬手段に出るとは思ってもいなかったのだろう。
不意打ちを食らって怒鳴るお登勢さんに私が駆け寄るのと同時に、銀さんは事も無げに言ってのける。
「いじめっ子黙らすには同じよーにいじめんのが一番だ。殴られたこともない奴は人の痛みなんて分かりゃしねーんだよ」
「分かってねーのはお前だァ! こっちゃ鼓膜破れそーなんだよ!!」
「そうだよ、銀さん! これじゃ他の人にもかえって迷惑が……」
それでは意味がないとは分かっていながらも「どうせやるなら音量をもっと落とそうよ」と続ける私を見降ろして、銀さんはただ「まあそう言うなって」と軽く笑った。
「バーさん、一番痛いのは新八だ。公衆の面前で音痴晒してんだから」
「「何か気持ちよさそーだけど!!」」
清々しい顔で熱唱を続ける新八君に目を向けながら言う銀さんに、お登勢さんと私の声が重なってツッコんだ。
そんな時、不意に新八君の嵐のような歌声が止んだ。
何事かとそちらへ目を向けると、そこにはマイクを取り合って喧嘩している新八君と神楽ちゃんの姿。
とりあえず、鼓膜を揺らす音が止んで安心した私は、耳を塞いでいた手を下した。
「あ〜あ、何やってんだアイツら。しょーがねーな―――オイぃぃ!! 次歌うのは俺だぞォ!!」
「おめーら、一体何しに来てんだァ!!」
最早『カラオケ大会にやって来た親子』である。
新八君と神楽ちゃんだけのはずだったマイク争奪戦も、いつの間にやら銀さんとお登勢さんまで乱入しての大騒ぎとなっていた。
私はそれを見て深く溜め息をつくと、慌てて止めに入る。
「ちょっと、銀さん! 騒音止めに来たのに喧嘩は―――」
「もういい。てめーらの歌聴くぐらいなら自分で歌う! 貸せ!」
「お登勢さんまで……! 主旨がズレてきてますよ!」
「てめーの歌なんて聴きたくねーんだよ、腐れババア黙ってろ!」
「……もーいい加減にッ―――」
4人の間に何とか入って止めようとするのだが、お登勢さんがヒートアップしてしまったせいで、全員人の話など聞いちゃいない。
「何だとォォ!! じゃあデュエットでどうだコノヤロォォ!!」
「バッカ、ふざけんな! てめェみてーな皺ババアとデュエットするくれーなら、とデュエットしてラブソング歌うわァァ!! チャぁぁぁン! 銀さんと一緒に歌うぞォォォ!!」
「何でそこで私まで巻き込むの!?」
しかも『ラブソング』て!
収拾のつかなくなってしまった喧噪に、私まで巻き込まれ始めた時。
ガラララ。
「「「「!」」」」
「……?」
突然、源外庵の締め切られていたシャッターが開いた。
どうやら、外でギャーギャー騒ぎまくっていた為、いてもたってもいられずに出てきたらしい。
開いた入口に目を向けた私達の前に立ち塞がったのは―――。
「……ロ、ロボット……?」
思わずそう零したのは、私である。
よくよく見てみると、巨大なロボット―――この世界で言う“機械(カラクリ)”が、シャッターを押し上げてこちらを見降ろしているではないか(機械だから“見ている”のかは分からないけれど)。
全体的にごつく四角い雰囲気が印象的なカラクリの姿だが、きちんと手足がついていて、どうやら自分の意志できちんと動いているらしいそれ。
それには、銀さん達も呆気に取られて目を丸くする。
「……え? え? ……これが平賀サン?」、
「そんな訳―――」
情けなく言葉を漏らす銀さんにツッコもうとした時、不意にそのカラクリの腕が私の頭上を素通りし、銀さんの頭を器用に鷲掴んだ。
銀さんや、それを見ていた人達が驚きの声を上げる前に、カラクリは銀さんの頭を掴んだまま、彼自身の身体を軽々と持ち上げる。
「銀さん!?」
「いだだだだだ!! 頭取れる! 頭取れるって平賀サン!」
銀さん曰く“平賀サン”だというカラクリは、銀さんの頭を鷲掴んだまま、宙で彼の身体を揺さぶり―――否、振り回し始めた。
それには流石に恐ろしくなってしまったのか、お登勢さん以外のかぶき町町内会一同は悲鳴を上げてその場から走り去っていってしまう。
「―――たわけ。平賀は俺だ」
宙にぶら下がる銀さんを半ば哀れみの視線で見つめる私の傍らで、新八君と神楽ちゃんが必死に銀さんを助けようと手を伸ばしている。
そんな中、源外庵の奥からしわがれた男の人の声が届いた。
そちらに目を向けると、そこには、作業用と思われる服(ツナギみたいなやつ)に身を包んだ、白い髭をたっぷりと蓄えてゴーグルをかけた老人が立っていた。
手に工具を持っているところを見ると、やはり何か作業をしている最中だったらしい。
「人んちの前でギャーギャー騒ぎやがって、クソガキ共。少しは近所の迷惑も考えんかァァァァァ!!」
この老人が、お登勢さんの言っていた『江戸一番の発明家』で、騒音の原因・“平賀源外”らしい。
やっと騒音の主が現れたことに内心ホッとしながらも、私は勝手に怒鳴り散らす老人―――平賀さんを見る。
「そりゃテメーだクソジジイ!! てめーの奏でる騒音のおかげで、近所の奴は皆ガシャコンノイローゼなんだよ!!」
「ガシャコンなんて騒音奏でた覚えはねェ! 『ガシャッウィーンガッシャン』だ!!」
そんなことはどうでもいいんだよ。
思わずそう口走りそうになったが、初対面の、しかもご老人に対して暴言を吐くわけにもいかないので、自身の口を手で塞いで思い留まった。
―――後ろでは相変わらず、銀さんがカラクリに振り回されて叫んでいるが、あえて無視した(酷い)。
「源外、アンタもいい歳してんだから、いい加減静かに生きなさいよ。あんな訳の分からんもんばっか作って、『カラクリ』に老後の面倒でも見てもらうつもりかイ」
「うっせーんだよババア! 何度来よーが俺ァ工場はたたまねェ!! 帰れ!」
お登勢さんの言葉に、平賀さんは苛々した様子で怒鳴った。
そりゃあ、あれだけ家の前で騒がれては誰だって憤るだろうが、お互い様である。
しかし、平賀さんは余程うっとおしく感じたのか、最早銀さんの頭を掴んだまま彼を玩具にしているカラクリに向かって叫ぶ。
「オイ、三郎!! かまうこたァねェ、力ずくで追い出せ」
「―――御意」
カラクリ(三郎という名前があるらしい)は平賀さんの言葉を淡々とした音声で聞き入れると、掴んでいる銀さんをそのまま勢いよく振りかぶった。
「ん? アレ? オイ、ちょっ……」
主であるはずの、平賀さんに向かって。
途端、嫌な予感を感じる。
「ちょっ……危ない、平賀さッ―――」
ゴッ!!
咄嗟に叫ぼうとしたが、時既に遅し。
三郎さん(と呼ぶべきなのだろうか?)の腕からミサイルの如く発射された銀さんが、平賀さんに向かって真っ直ぐ宙を走って激突し、2人はそのまま地へ落ちていった。
(……今日は何でこんなに騒がしいんだろ……)
私の重い溜め息は、突然静まり返った源外庵の敷地に吸い込まれて消えた。
小さな翁と、
大きなカラクリ。
(アンバランスな関係性)
アトガキ。
*カラクリ職人と、カラクリ。凸凹コンビとの出逢いが齎すものは。
*やっとここまで来ました、原作沿い連載。長かった……。
この話にたどり着くまで、本当は高杉さんを出すつもりはありませんでした。
でも、「何かヒロインのメインストーリーを作らなきゃ」、「ならば伏線を引かなければ」、「よし高杉さんを使っちゃおう」みたいなノリでここまで来ました。
この話は基本的には原作沿いですが、とりあえずヒロインと高杉さんの再会を書けたらいいと思っています。
*2010年11月1日 加筆修正・再UP。
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