PROLOGUE
ふと、闇へと沈んでいた意識が浮上する。
激しい運動でもしたかのような、身に憶えのない身体の倦怠感に比例して、閉じている瞼もひどく重たかった。
まだもう少し、このまま瞼を閉じていたい。
でも、ゆっくりと浮かび上がる意識がどこからか言い知れぬ心地良さを感じ取って、私はゆっくりと瞼を上げた。
目覚めた先に移った世界は。
「……ここ、は……」
世界には―――桜の涙が、散っていた。
「……んぅ…」
「!」
視界いっぱいに咲き乱れ、散っていく桃色の花弁に目を奪われていた私のすぐ傍で、不意に何かが身じろいで声を漏らす。
驚いてそちらへと向けた私の目に飛び込んできたのは、私の大切な、たった1人の親友が横たわる姿だった。
「や、やだ……何、ここ……」
私と同じように気を失っていたのか、少し遅れて目を覚ました親友が身を起こすのを手伝う。
すると、視界に広がる見知らぬ光景に気付き、彼女は戸惑いの言葉を漏らした。
辺りを茫然と見渡す親友に倣うように、私もゆっくりと辺りを見渡す。
傍らには、春にしかその蕾を開かないはずの、大きくて、満開に咲き乱れる桜の木。
目の前には、日本では見慣れない豪華絢爛な中国調の建築物。
そんな建物を飾り付けるかのように、私達の後ろに広がる、透き通った大きな池。
プカリと浮かんでいる蓮の花は、美しく大輪を咲かせていた。
「どこ、ここ? 夢……?」
「……だといい、けど」
あまりに突然で非現実的な事態に、2人で言葉を交わしながら身体の向きを池から建物の方へと戻した時だった。
「―――よう」
ほんの数秒前まで無人であったはずの私達の目前に、人影が飛び込んできた。
そして、その影から放たれた声は、とても、愉しげな色を帯びていたように思う。
それにしても、いつの間に現れたのだろうか。
その人影は、地に座り込む私達2人を、仁王立ちして見下ろしていた。
上質な布を1枚だけ巻きつけたように見えなくもない、その姿。
身体付きからして女性なのだろうに、上半身を薄布越しに惜しげもなく曝け出しながらも腰に手を当てて踏ん反り返る姿は、変質者の類にしか見えないのだが―――どこか、神々しささえ感じてしまっている私は、突然の出来事に混乱しすぎておかしくなってしまったのだろうか。
「はははっ、相変わらずのしかめっ面だな」
そんな私の葛藤を知ってか知らずか、明らかに不審者を見るような目付きでジッと自分を観察してくる私に気付いたらしいその人は、至極愉快そうに声を上げて笑うと、私を真っ直ぐに見下ろして言った。
何がそんなに愉しいのかは知らないが、ひとしきり笑い飛ばして見せたその人は、口元に不敵で妖艶な笑みを残したまま、私達へ向かって人差し指を伸ばす。
「」
「ッ、は、はいっ……!」
「そして―――」
「……は、い」
何故、私達の名前を知っているのか、とか。
ここはどこで、アナタは誰なのか、とか。
疑問は止めどなく頭の中に浮かんできたけれど、目の前に立つ人物の圧倒的な存在感に心奪われ、疑問の代わりに返事を返してしまった。
「よく、来たな……―――“おかえり”」
愛おしそうに目を細めて、今度は懐かしむように、それなのに淋しげに笑った。
「……え?」
私の隣に茫然と座り込んでいる親友・は、ただ呆気に取られたように、訳が分らないといった表情で目をパチクリさせている。
しかし、私は。
何だか懐かしくて、むず痒くて、嬉しくて。
哀しくて。
淋しくて。
「……“ただいま”」
胸の内で込み上がってきた想いとともに、反射的且つ本能的に。
思わず私が零してしまった言葉に、目の前の彼女が不敵な笑みを崩して、驚いたように目を見開いていたのが見えた。
錆びついた足で、
走り出せ。
(これは、総てを揺るがす、還ってきた物語)
*2009/11/05 加筆修正・再UP。
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