MEET×MEET   00



その日は確か、土曜日。
学校が休みで、2人、早朝から共に過ごしていた日だった。


「お邪魔しまーす」
「はいはい、どうぞー」


もう何度となく訪れたことがあるというのに、親友のは律義に我が家の玄関先でそう言うと、薄桃色の女の子らしいスニーカーを丁寧に脱いでいた。

私はそんなの様子を眺めながら隣で通学用に使用しているローファーを脱ぎ、先に家へ上がり込む。
スニーカーを脱いで綺麗に揃え終えたは、私の後に続くように我が家へと足を踏み入れた。
―――とは言っても、最早勝手知ったる何とやら。
私の案内などなくても、はこの家の中を何不自由なく行き来できるのだが。


「どこの部屋でやるの?」
「んー……リビングかな。パソコンもあるし」


折角の休日だといっても、私とが通っている高校の教師達は、私達に休息すら与えてはくれないらしい。
この土曜日と日曜日の2日間で本当に終わらせられるのか、と嘆きたくなるほど大量の課題を出されてしまって、大半の生徒は休日を苦しみあぐねて過ごす。

私とも、その中の人間だった。

これだから、都内の進学校になんて入りたくなかったのだ。
と同じところでいいや、といい加減且つ邪に考えて受験した報いがこれである。


「テキトーに座っていいよ」
「はーいっ」


とにかく。
そんな学生特有の事情から、本日は我が家で課題に取り組むこととなったのだった。

ちなみに、先程まで高校付属の図書館へ資料探しの旅に出ていた私達は、2人とも学校の制服であるブレザー姿だ。


「それにしても、相変わらず広いお家ね、
「……まあ、1人で暮らすには持て余すくらいだしね」


をリビングへと通し、ソファーへと腰掛けさせる。
が白い革張りのソファーに身を沈めながら言った言葉に、私は飲み物の準備をしながら苦笑交じりに答えた。


「皆で暮らしてた時のまま。道場も少し改装しただけで、そのままだし」
……」


の目の前に紅茶を注いだコップを置きながら、何となしに口にする。
すると、それを聞いていたがひどく哀しげな表情で私を見上げてきたので、思わず苦笑した。


がそんな顔してどーすんのさ」
が……が泣かないから! だから、その分泣いてあげようかと思って…」
「……それ、2年前から言ってるよ、


らしいね。

そう言ってに笑って見せると、彼女も安堵したように笑顔を返してきてくれた。
私がいつもと変わらない様子だと気付いてくれたは、気を取り直すように「よーし!」と意気込みながら、ガラス張りのテーブルの上に課題のプリントやら参考資料やらを取り出して積んでいく。

私はそんなを見て思わずクスリと笑みを零した後、一口、コップを傾けて冷たい紅茶を喉へ通した。
カラリと、氷がコップに擦れて音を立てた。


私はもう2年以上、この家に1人で暮らしている。
元は両親と私の双子の兄を含めた4人で暮らしていた分、1人になった今となっては家の広さが、先が見えないほど広く感じる。

そんな家族は2年前のある日、私が高校入試を終えた頃、突然、この世を去った。
父・母・兄の、3人ともだ。




まだ中学も卒業しきれていない私を―――独り、遺して。




あの日のことは、未だに夢に見るくらい、私の中で強く根付いて離れてくれない。


あの日から、もう2年以上……


結局、私は家を離れることも出来ずに、家族の面影や思い出が残るこの家に、ダラダラと1人で暮らし続けている。
食器も、衣類も、家具も、すべてあの時のままだ。

父は、自宅の隣に建っている道場で武術を教える、有名な武術家だった。
ありとあらゆる武術に精通していた父の影響で、私や兄も、兄妹2人で武術の稽古をつけてもらっていた。
母は普通の専業主婦。
優しくて穏やかで、いつも家族の中心になっていた。

そして、私に最も近い存在―――双子の兄・心護。
色々と破天荒な性格だった父の血をそのままそっくり受け継いだような性格で、でも誰よりも私を理解してくれて。
いつも、守ってくれた。

そんな家族。

父の築き上げてきた栄光や名誉が詰まった道場。
母のぬくもりや優しさが沁み込んだ我が家。
兄の力強さが残る、我が家。

こんなこと、きっと家族は望んでいないのかもしれないけれど、どうしても、この家から離れられない私の弱さがあったのだ。


―――……ねぇ、?」
「ん?」


そして。


あの人だけでも、帰ってきてくれたらいいね」


もう1人。
私が唯一、家族以外で焦がれた人。


「……さて、今日はたっぷりに勉強教えてもらおうかね」


の言葉にただ困ったように笑い返した後、私は誤魔化すように言葉を紡いだ。
は少し複雑そうに顔を歪めていたけれど、私の言葉に小さく笑っていた。

彼女は知っているのだ。
私が何もかも、気持ちを誤魔化していることを。




私は―――間違っているのかも、しれないね。




家族のことでも、未だ燻ぶるあの人のことでも。
もう、嘆き悲しみ、独りで泣くのはごめんだと思った。

これからも私は1人で生きていかなければならないから、家族の分まで生きて、強くならなければいけないから。
誰にも縋らない、泣きつかない、明かさない。
そう決意して、今日までを過ごしてきたのに。




『必ず―――




「……ッ、?」


不意に、何か言い知れない冷たく凍えた声が過ぎる。
これは誰の声だったか、思い出せない自分を誤魔化すように、汗など1つもかいていない額をブレザーの袖で拭うように擦った。

は課題のプリントを見つめながら、資料にあれやこれやと手を伸ばしている。
私もそんなに倣って、課題のプリントへと視線を落とした。


「……というか、『教えてもらう』って……、普通に勉強出来るくせにィー」
「テストのみに集中してるだけで、こういう課題とかはそっちのけなんだよ。……あ、面倒くさいからの写させ―――
「だーめ! それくらい自分でやりなさいっ!」
「ちぇー……」


とりあえず、今は。
こうして2人、くだらないお喋りなんかしながら毎日過ごせるだけで、いいや。
もうこれ以上失わない為に、だけは守って。


「大体、はやれば出来るのに怠けすぎよ」
「ごめんなさーい―――……あれ?」
「ほら! 返事からして無気力……って、どうかした?」


課題を怠けようかどうか思案している私にのお説教が始まりかけた時。
不意に、テーブルの上へ無造作に放り投げていた私の携帯電話が震えた。

先程まで学校へ行っていたためにマナーモード状態のままだった携帯電話が、数秒間震えてメールの受信を知らせるライトを点滅させ、今は静かな状態で私の手の中にあった。
パチン、と軽快な音を鳴らして携帯電話を開き、手早く受信メールを確認する。

そこには、1件の新着メール。

そのメールを見た私は、思わず眉間にグッと力を込めた。
不審顔の私に気づいたは、私の手元を覗き込みながら訊ねてくる。


「誰から? 玲奈とか?」
「……ううん、知らないメール、というか……」


タイトルのみならず―――送り主のアドレスすら、無い。

そう続けた私に、今度はまでも不審顔。

今まで、携帯電話内に登録していない相手からアドレスのみが表示されたメールで受信されたことはいくらでもあるのだが、こんな、アドレスすら表示せずにメールというものは送れるものなのだろうか。
それ以前に、そんな事をする必要があるのだろうか。


「やだ……怖い、そのメール…」
「……とりあえず、中身見てみないと」


その、何とも不審で不気味なメールに怯えているを横目に、私は恐る恐る携帯電話を操作して問題のメールを開く。

宛名、なし。
件名、なし。
タイトル、なし。
本文、




―――『お前らの在るべき場所へ、連れて行ってやるよ』




その一文へ目を通した刹那、携帯電話の画面がカッと鋭く光を放った。
一瞬で視界を真っ白い光へと変えられた私は、驚く暇もなく突然の眩暈に襲われる。

何かを必死に叫んでいるの姿を霞がかった視界で捉えたのを最後に、私は意識を手放した。





***************





今、何となく思い返してみて、よくよく考えてみればおかしいことだらけだ。

何故、私の家にいたはずの私とが、こんな見覚えもない空間にいるのだろうか。
一見してみればどこかの外国に飛ばされてしまったように思われる風景も、よくよく見てみれば夢なのか現実なのか判別が付けづらい、どことなく神秘的な雰囲気すら感じる風景である。




うまく表現できないけれど、ここは―――人の想像し得ない世界なのでは、ないだろうか。




私達の目の前で、私の不意に漏らした一言に至極驚いたような表情を見せていた人物は、暫し目を見開いて呆然としていたが、直ぐに不敵な笑みへと表情を変えて言う。


「お前、俺のことは憶えてねえくせして、それはきちんと憶えてんだな」
「……え……?」


ククク、と愉快そうに喉の奥で笑って、その人は困惑して座り込んだまま動けない私達の顔を、腰を屈めて覗き込む。


「俺が『誰』で『何者』なのか。『何故自分達がこんな処にいる』のか、訊きたいか?」
「!」
「……」
「まあ、そうだな……簡単に説明してやった方が降りた時に楽かもな」


私とはただ、1人納得したように呟くその人の言葉を聞くことしか出来なかった。

それは、なんとも非現実的な話。

私達がいるこの空間は、神々の集う場所―――誰もが怖れる“さえ存在しない天の国・天上界。
そんな世界に住んでいるらしい目の前の人物は、天界に司る五大菩薩の1人、慈悲と慈愛の象徴・観世音菩薩だと名乗った。


「天上界……観世音菩薩って……え?」
「……長い名前ですね」


が心底戸惑っている横で、現実逃避するかのように思わず零された私の言葉。
話の腰を折りかねない私の発言を諌めるかのように、自称・神だと名乗る観世音菩薩さんの拳が頭に落ちてきた。


「い、痛い……ッ」
「ったく……続けるぞ。次に、お前達をここへ呼び出した理由を話す。ややこしいから、よーく聞けよ」


結構な衝撃の走った頭を撫でている私を呆れたように見下ろしてから、観音さん(長いから省略した)は傍にあった立派な装飾の椅子へと腰掛け、優雅に長い脚を組んで話を続ける。

私達がいるこの世界は、私達がいた世界とは異なった世界。
『異世界』と称される、まったく別の環境下に置かれた場所。
私達の常識が通じない、場所。


「お前らも何となく、勘付いちゃいるわけだろ?」


確かに、この夢とも現実ともつかない現象を総合的に考えるのなら、『異世界に飛ばされた』と考えた方が、辻褄が合う。
合ってしまう。
戸惑い混乱してはいるが、私はただ、眉間に皺を寄せて話を聞くことしか出来ない。

この世界は、神の存在する天上界と、人間と妖怪が共存する下界桃源郷という2つの世界に分かれ、それぞれバランスを取って成り立っていると、観音さんは続けた。

そして、その桃源郷”と呼ばれる下界では、今、とある異変が起きているという。


―――……異変?」
「ああ。世の均衡を崩す、異変がな」


いまいち信じ切れていない様子のに対し、何故か知らないが素直に頭の中へ知識として観音さんの言葉が吸収されていく私は、訝しげに首を傾げて返す。
観音さんはそれに、不敵に歪められた口元の笑みを深くして言う。


「遥か西域・天竺国にある吠登城で行われているとされる牛魔王蘇生実験、それにより放たれる負の波動に影響を受けた妖怪共が狂暴化した末、人間を襲い始めた」


今まで共に生きてきた者同士が突如、狩る者と狩られる者へと変化してしまったと。


「……まあ、信じられやしねえだろうけどな」
「いきなり信じろって言われても……」


「ねえ?」と、同意を求めるようにへ話を振ると、彼女はどこかぎこちなく返事した。
まだ戸惑っているのだろうか。
少し気にはなったもののそれを訊き返すことはせずに、私は観音さんへ訊ねる。


「それで……私とが、そのどこかで聞いたことのあるような牛魔王”の蘇生実験とか異変とかに、何の関係があるんですか」
「……そこが本題”だよ


観音さんは、私の質問にそう返すなり、急に飄々としていた今までの態度を一変させ、真摯な表情で私達を見る。
私とは互いに顔を見合せ、椅子から立ち上がってこちらへと歩み寄ってくる観音さんを同時に見上げた。
座り込んでいた私達も、観音さんの真剣な表情に思わずその場へ立ち上がる。

すると、観音さんは私との肩を徐に掴み、少し自分の方へと引き寄せる。
不気味なほど―――ニッコリと、綺麗に微笑みながら。


「それの説明すんのは―――アイツらの処に行ってから、な」
「……は」


観音さんは笑顔のままそう言うと、私との肩を、少し勢いをつけながら力強く後ろへ押した。
私達の後ろには、蓮の花が浮かぶ綺麗に澄んだ池。


「ぅ、わッ……!」
「きゃあっ!?」


ああ、一旦引き寄せたのは、ちょっとした助走だったのか。




―――今から行く場所が、お前達の『在るべき世界』だ」




観音さんのその言葉を聞いたのとほぼ同時に、私とは池の中へ沈んだ。







メールと、神と、

夢のような現実。


(急速に)(追いつかぬ間に)(突き付けられる、夢物語)









アトガキ。


*神との出逢いと世界の転換。

*最遊記の夢では在り来りな始まり方ではありますが、あえて観世音菩薩にあわせてからの、池ポチャ。
 前半はプロローグに入る直前のヒロイン達、後半はプロローグ直後のヒロイン達となっております。
 0話とあえてつけたのは、三蔵一行との出逢いを1話にしたかったというのと、天界が始まりではなくて桃源郷に降りてからが始まり、としたかったからです。
 
 そんなわけで始まります、最遊記連載。ダブルヒロインっぽいけど少し違う、私としては考え抜いた話……に、なったらいいなぁ(笑)
 随分とプロローグをアップしてからかかってしまいまして、何度も何度も書き直しをした、ある意味思い入れの深い連載なので、楽しんでいただけたらと思います。

*ではでは、次回ようやく三蔵一行登場です。そして、旅のスタートラインとなるお話。




*2013年03月16日UP。