プロローグ

純粋に夢を追っていることの、何がいけなかったのだろうか。


『……う、そ……嘘でしょ……?』

『怪我は治るが……深刻だ』


私の想いが足りなかったのか。
私の力が足りなかったのか。


『もう、無理だよ』

『まだやれる! 私は……ッ、まだ頑張れるから……!』

『―――諦めるしか、道はないと思うよ』


今となっては何も分からない、有耶無耶なそれは、私の中で強く根付いて消えてはくれなかった。





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『―――青学へ編入?』
「うん、そう」


本格的に冬の寒さを感じ始める、12月中頃。
久しぶりに受話器越しで聴いた従兄弟の声は、幾分低いものへと成長していた。

その少し新鮮な低い声が、彼にしては珍しく困惑の色を帯びていたので、私は少しおかしくて小さく笑いながら頷いた。


4ヶ月と25日ぶりに電話してきたかと思ったら……いきなりだな』
「……相変わらず細かいねー。普通に『約5ヶ月ぶりだな』とかでいいのに…」
『情報提示は詳細な方がリアルだろう』
「…………連絡しなくてごめんなさい」


遠回しに「何でそんなに長い間連絡寄越さなかったんだ」と毒を吐かれたことに気付き、とりあえず電話の向こう側にいる従兄弟に向かって頭を下げてみる(見えないけれど)。
そんな私のことすらお見通しらしい彼は、私が言ってもいないのに「頭を下げる必要はない」と、まるで今この場に居合わせているかのように言ってのけた。

相変わらず、見透かされすぎていて怖い。


『とにかく、だ。何故よりによって青学なんだ?』
兄さんに勧められて、夏休み中に編入試験受けたの。そしたら、何か……受かっちゃって」
『なるほど……「受かっちゃって」という事は、はじめは行く気がなかったわけだな』
「うん。別に私立じゃなくても困らないかな、と思ったし」


私のやる気のない言葉に、受話器の向こう側から重い溜め息が聞こえて、それと同時に「相変わらずだな」と言う御言葉を頂いた。


私の同居人である円城寺の勧めで彼の母校に編入することになったのは、公立学校に通い始めて数ヶ月後のことだった。

小学校4年から、諸々の事情により私立から公立学校へと方向転換して数年
中学にも問題なく進学して、学校にもクラスメイトにも慣れ親しみ始めた矢先、同居人から、有名な私立青春学園への編入を勧められたのだ。

特に私立学校へ通うというこだわりがなかった私だが、同居人である彼にまんまと言い包められ、上手い具合に編入試験を受けさせられたのが、夏休み―――8月終わりのこと。


兄さんも、色々と気を遣ってくれてるみたいだから……何か申し訳ないなー…」


半信半疑・やる気半分で受験した試験に、何故か合格してしまった私は、冬休み明けという、何とも中途半端な時期から青春学園へ通うことになったというわけだ。

何故か私には異常なほど過保護な、兄のような存在である兄さん。
頭の中にそんな彼のニヤリとした笑みを思い浮かべながら言う私に、電話越しの従兄弟はクスリと笑った。


『あの人の、お前に対する過保護も相変わらずだということか』
「まあ……そうかな」


こうして2人で他愛のない話をするのは、本当に久々だ。
自然と口元が緩むし、相手が相手だけに何だか安心してしまう。


『……とにかく。青学には“アイツ”も通っているし、馴染むのに時間はかからないだろう。お前の性格上、そういったことはあまり気にしないんだろうがな』
「うん、気ままに時に任せます」
『お前らしいな。……ところで―――』
『先輩ー? まだ電話終わらないんスか〜?』


そんな時、不意に電話の向こうから聴こえてきた、従兄弟とは別の声。
声からして男の子だろうか、“先輩”という単語から考えるに、従兄弟が通っている学校の後輩らしい。


『つーか、誰から電話来たんスか? ……あ、もしかして彼女ッスか!?』
『……』


随分とテンションの高い後輩だな…。

受話器を耳に近付けたまま固まる私の耳には、従兄弟の沈黙を物ともせずに騒いでいる後輩君(よくよく考えたら私と同じ歳の子か)の声がはっきりと届く。

物静かというか、冷静沈着で口数の少ない従兄弟とは正反対な後輩のようで。
従兄弟は拍子抜けしているのか、それとも言葉を遮られたことを怒っているのか、しばしの間ただただ沈黙していた。


「……も、もしもし?」


一向に声を発しようとしない従兄弟に少し不安になった私は、恐々と小さく声をかける。

すると、受話器の向こうから「あ! 女の声!」という、大きな叫び声が聞こえてきた。
どうやら従兄弟の間近にいたらしい後輩君は、私の声を聞いて驚いたようだ。

……というか、女の子と話してちゃ悪いのか?


『―――……
「へ、あ、はいはい」
『すまないが、続きは明日にでも。こちらからかける』


ああ、ちょっと怒ってるなコレ。

低い声が更に低くなったのを確認して、私は一人口元を引き攣らせた。

彼は怒鳴り散らすような性格ではないが、静かに怒りを露にする。
物静かな人ほど怒らせると性質が悪い―――ご愁傷様、後輩君。


「え? あ、うん。別にいいけど……。家にお友達が来てたんだね」
『友達というか、後輩だ。部活のな。他の部員もいるが…』
「部活……―――テニス部?」
『……ああ』


自分の口から久々に出てきた単語に、自分自身少し驚いてしまった。
それは電話の向こうにいる彼もそうだったらしく、ワンテンポ遅れた相槌が返ってくる。

彼の通っている学校は、全国大会2連覇を遂げたという、テニスの超強豪校。


『……?』




テニス。




こんなに簡単に、口から零せるようになったのに。
心の奥底では、求め続けているのに。


「そっか。頑張ってるんだ」
、お前―――』
「あ、後輩君待たせたら悪いよね? 明日、昼間は学校あるし……そっちの部活が終わってからでも電話して下さいな」
『……ああ、分かった。……またな』
「うん」


しばしの沈黙の後、ガチャリ、と電話を切る音が聞こえて、私も続けて受話器を置く。
シンと静まり返ったリビングに、ひんやりとした何とも言えない空気が流れ込む。


「……テニス、か」


無遠慮にボスッ、と白いソファーに腰掛けると、誰にでもなく呟く。
兄さんは今日もどこかの学校のコーチをするとかで、きっと帰ってくるのは夜だ。

帰ってきたら、何故青春学園を私に勧めたのか、詳しく聞いてみよう。
私の考えている通りの答えが返ってきた時は、はっきりと言ってやろうと思う。




「ごめんね。心配かけて―――でも、大丈夫だから」と。




何かと繋がりのある“テニス”。
その強豪校で全国大会常連である、青春学園。

同居人の考えていることがどんなことなのかは分からないけれど、これから始まる新しい生活に不安半分期待半分のまま、私は重い溜め息をついた。


いつの間にか暖房の切れたリビングで、溜め息は白くなって消えていった。








夢見ることすら許されない。これは何の罰?
(変われるものなら、変わりたいのに)










*2009/11/07 加筆修正・再UP。