日常急カーブ!    04

とうとう、私はあまり関わりたいとは思わなかった男子テニス部に、深く関わることとなってしまった。

竜崎先生とともに、テニス部レギュラーの試合を目の当たりにしたあの時。
その瞬間こそ、自分の中にある“何か”が激しく揺さぶられた感触があって、その衝動を抑えきれず、放課後部室ではなく職員室へと足を運び、入部届を竜崎先生へ提出してしまった昨日ではあるが。


『それじゃあ、アイツらにはこっちで知らせとくから、アンタは明日の放課後までに必要な物を揃えておきな』


今思うと、竜崎先生達の策略にまんまと嵌ってしまった結果となった私。
今になってそれに気付いて後悔しても、後の祭りなのだが。

とにかく、竜崎先生の指示通り『必要な物』とやらを一通り揃えて、私は登校した。
必要なものと言っても、部活動中に着るジャージとか部活動専用の少量の筆記用具とか、そんなものだ。

ジャージは学校指定の物を着ればいいか、と思ったのだが、入部届を出したことを報告した兄さんに「お祝いだ」と言われて上下セットの紺色ウェアをプレゼントされたので、それを持参した。
お祝いだ、と用意周到にそれを渡してきたところを見ると、大分前から用意していたらしいそのウェアは、私と兄さんが贔屓しているメーカーの物で、軽くて動きやすいものではあったのだが―――何故か、プリーツスコートがおまけで添えられていた(おそらく兄さんの差し金だ)。


「学校指定のだと、レギュラーじゃねぇ部員と混ざるだろ、青学は。それ着ろ。……あ、スコートは俺の目の届く範囲内だけで穿けよ。只でさえ思春期の危ねー狼野郎ばっかなんだから」


……じゃあ、何で今スコートも一緒に渡したんだ。

そんな疑問を抱きながらも、私は兄さんの言葉に渋々頷いておいた。

言っておくが、兄さんの視界内であってもなくても、私はスコートを単体で穿くつもりはない。
絶対に(制服とか、場合によるけれど)。

…………話が逸れた。

とにかく、私はそんな感じで家からジャージとその下に着るTシャツを持参し、普段授業で使っている筆記用具達の中からいくつか必要なペンを選び出して別のペン入れへ移すという作業をして、準備を整えた。




ー」
「……何ですか、池内さん」
「何で急に他人行儀なのよ」


いつもよりも多い荷物を抱えて登校した私を、友人の美都は始終ニヤニヤしながら楽しそうに見ていた。
そんな彼女との昼休み、ガタガタと私の机とその前の机を向かい合わせにしながら名を呼んでくる友人を、私は少し恨めしげに睨む。


「……美都があそこで桃君を止めてくれてたら、私はこんな決断することなかったのに…」
「あら、私のせい?」
「…………3分の1くらいは」
「地味に多いわね。……まあ、確かにをテニス部に独占されるのは少し癪に障るわねー」


に何かあったら、私テニス部呪っちゃうかも。

そう告げる美都は、素敵に黒い笑顔を浮かべていた。
この子は、私で遊んでいるのか、それともすごく好いてくれているのか、よく分からない(まあ、嫌われてはいないだろうけれど)。


「でも、私はの為にやったことなのよ」
「私の為を思うなら、私をあの場に置き去りにはしないよ」
「何言ってんのよ。がテニスに関わりたそうだったから、協力してあげたんじゃない」
「……どういう意味?」


怪訝そうに眉を寄せながら弁当を広げる私を見て、美都は優雅に頬杖を突きながらクスクスと笑う。


「桃城君が来た時について行かなかったら、はテニスコートにすら行かなかったでしょ?」
「う、うん…」


私の弁当からミニハンバーグをかっ攫って、美都はにっこりと、どこか嬉しそうに微笑んで言う。




「―――はじめの一歩を踏み出せれば、足は自然と進むものだもの」




そのきっかけを、私はあげたのよ。

そう言って、パクリ、と人の貴重な昼食であるハンバーグを頬張る彼女に、私は少しの間目を丸くした後、小さく苦笑を返した。


結局のところ、私一人が勝手に周りには悟られていないと思い込んでいただけで、実際は兄さんや貞治君のみならず、知り合ってそう長くもない友人の美都にまで、私の想いは筒抜けだったらしい。

……そんなに分かりやすい行動をしてるのかな。

そう思って他の人達を見てみるが、私と接する機会が少ない人は当たり前だが、私がテニス好きだという事実さえ知らないようだった。
その証拠に、私が男子テニス部のマネージャー採用の件を引き受けたことに、多大なる衝撃を受けている人がほとんどだ。


『何事に対してもやる気がなさそうな、常に眠たげな雰囲気の無気力娘であるが、一番面倒くさそうなテニス部に関わった』


マネージャーになることを教えた数人のクラスメイト達から言われた言葉を総合すると、そんな感じだ。

要は、私の他人から見られる評価は“無気力・脱力のほほん娘”ということで。
そんな私が男子テニス部のマネージャーとなった、という話は、私の知らない間に青学全体へ駆け巡っていくのだ。

そして、それを知って良く思わないだろう人間も、これから出てくることだろう。

編入してきたとはいえ、それなりの日数をこの学校で過ごしていれば嫌でも耳に入ってくる、男子テニス部の人気ぶり。
特に青学テニス部の要である、手塚先輩率いるレギュラー陣の人気は校内だけでは納まらず、他校にまでその名が知られているとか。


(まあ、あの実力と容姿じゃ、注目されるのも頷ける……よね)


端正な顔立ちの人間が多い、男子テニス部。
昔から、女の子はカッコイイ男の子と運動神経の良い男の子には弱いもの、らしい(兄さん曰く)。

運動神経抜群な上容姿端麗で、先輩達は頭脳まで明晰でいらっしゃるようで。
ファンが多くいても、それは仕方のないことだと納得せざるを得ない。


(……大丈夫なのかなァ、私なんかがマネで…)


そんな、途方もない不安を抱えつつ。
放課後なんか来なければいい、と望む私の想いを、時は無情にも裏切って進んでいき、あっという間に放課後へとなっていくのである。








「…………え? 自己紹介? あ、はい。えーっと、2年のです。レギュラーの1人である逆光眼鏡ノッポに騙され―――ごめんなさい。乾貞治先輩に光栄にもお誘い頂き、マネージャーをやらされる……否、快くやらせて頂くことになりました。マネとしてはド素人なので、あまり期待せずに生温く見守って頂けると助かります。……あ、はい、そうですか。私が見守る方ですか―――まあ、とりあえず、頑張れるだけ頑張るので、よろしくお願いします」


我ながら、微塵もやる気が感じられない挨拶だと思った。

私に自己紹介をするように促してきた竜崎先生は、呆れたように私の横で溜め息を吐いてから「なんか心配になってきた。大丈夫かコイツ」みたいな、どんよりとした視線を送ってくる。


放課後の男子テニス部―――。

突然の召集と共に、これまた突然現れたマネージャーを名乗る女生徒を、多くのテニス部員達の視線が貫く。
ほとんどの部員達が、ただ呆気に取られたように茫然とする中、一度ならず二度までも顔を合せているレギュラーの皆様は、それぞれがそれぞれのリアクションを返してくれた。


「ハハハハハッ!! の奴、やっぱおもしれーなー!」


桃君は何がそんなにツボだったのか、腹を押さえてひたすら笑いながらこちらを指差してくる(失礼だな、君)。


が半ば自暴自棄になっている確率、98%」
「何の計算なの、それ…」


その長身故に、集団の一番後ろへ追いやられている諸悪の根源―――もとい、幼馴染み・貞治君は、よく分からないどうでもいい計算をして、キラリと眼鏡を光らせる。
ボソリと呟かれた声が聞こえてしまう私も私だが。

そして、そんな貞治君に河村先輩が苦笑しながら突っ込んでいて、何だか親近感の湧くその姿に、私は勝手に癒されていた(私の心のオアシス決定です、河村先輩)。


ちゃーんっ! よっろしくねー!」
「英二、もう少し静かに……!」


ほわほわとした河村先輩に和まされている間に、菊丸先輩が部員達の中から飛び跳ねて手を振ってくる(それにしても、飛び過ぎではないだろうか)。

私がそれに呆気に取られていると、菊丸先輩の傍らにいたらしい大石先輩が、必死に菊丸先輩を宥めていた。
大石先輩は『青学の母』という通り名(?)があるらしいが、それに違わぬ母ぶりである。


「……ったく、気の抜けた挨拶しやがって」


私が立っている丁度向かい側に仁王立ちしていらっしゃったのは、薫ちゃん改め、薫君。
この間の“薫ちゃん”呼びを桃君に随分とからかわれてしまったらしく、後になって私に「あの呼び方は二度とするんじゃねェ!」と、射殺さんばかりの眼光で訴えられたため、仕方なく学校では“薫君”と呼ぶことになったのだ(可愛い呼び方だと思ったのにな)。

そんな彼は、私の気の抜けた、半ばいい加減な挨拶に呆れているらしい。


「―――……


ごめんね、と目の前の薫君に小さく謝っていると、集団の中から一際威圧感のあるオーラを醸し出しているお方・手塚部長(マネージャーになったので一応部長と呼ぶことにした)が、こちらに真っ直ぐ歩み寄って来た。
名を呼ばれて手塚部長の顔を見上げると、先程の私の挨拶がお気に召さなかったのか、何だか複雑な表情で眉間に皺を寄せている。

……綺麗な顔が台無しだな(私のせいだろうけど)。


「本当に、頼んでも大丈夫だろうな……?」


何だか呆れたような溜息をつかれて、その後に竜崎先生と同じような「本当に大丈夫なのかコイツ」みたいな視線を向けられてしまったので、私は慌てて何度も首を縦に振った。

任された上に引き受けたからには、仕事はきちんとやりますよ、私でも。

そういう意味を込めながら必死に頷いたのだが、私の先程の気のない挨拶がまだ引っかかっているのか、「なら、いい」と小さく手塚部長は零す。


「フフ、大丈夫だって、手塚。さんも初日だから緊張してるんだよ」
「不二…」


1つ分以上高いところからの手塚部長の視線に、背中にダラダラと冷や汗をかいていた私を救出してくれたのは、今日も爽やかな笑顔が素敵な不二先輩だった。
不二先輩の登場によって手塚部長の威圧的な空気にやられていた私の気持ちは、一瞬にして軽くなる。

ああ、美人さんって偉大だな(何か違う)。


さん」
「……あ、はい?」
「マネージャーの話、受けてもらえて嬉しいよ。多分、レギュラーが一番お世話になっちゃうと思うけど……改めて、これからよろしくね」


ふわっ、と綺麗に、顔を覗きこまれたまま微笑まれて、思わず一瞬固まる。
そんな私にクスリとおかしそうに笑ってから、不二先輩は手を差し出してきて、私は慌てて「こちらこそ、よろしくお願いします」と、その手を握った。


「……」


手塚部長と不二先輩(主に不二先輩)と他愛のない会話をしていると、不意に何やら視線を感じて、私はそちらに顔を向ける。

そこには、白いキャップ帽を被った少年―――私を嫌っているらしい、越前リョーマ君の姿。
何やらあまりよろしくはない目つきで、私の方を三白眼で睨むように見ている。




『こんな鈍臭そうでやる気も無さそうな人に、テニス部のマネージャーなんて出来るんスか?』




別に、先日のあの辛辣な言葉を気にしているわけではないが、何となく、越前君と目が合った瞬間、居た堪れなくなってしまった私。
目を反らそうにも反らせなくて、とりあえずヘラァと笑ってみると、越前君は何故か驚いたように目を見開いてから、プイッと顔を反らしてコートの方へ行ってしまった。

……余程気に入らないんだなー、私のこと。


「さて、どうやら顔合わせは済んだようだし…―――、ちょっと聞きな」
「……?」


素気ない越前君の態度に少なからずショックを受けていると、竜崎先生が声をかけてくる。
私が至極ゆっくりとした動作で竜崎先生に振り返ると、そこにはまたしても、逆光眼鏡を光らせて直立している貞治君の姿があった。


「マネージャーの仕事の大半は乾が仕切っていたからね。仕事は全部コイツに教わりな」
「……」
「アンタ達幼馴染みなんだろう? 仲良くやっておくれよ」
「ご心配には及びませんよ、竜崎先生。俺がきちんと教え込んでおきます」


自分なりに心底嫌そうな表情を作ったつもりだったのだが、どうやら目の前の2人には伝わらなかったらしい。


「今日1日は乾と行動するんだよ。色々と聞いておきな。これからバリバリ働いてもらうからね」
「はあ…」


煮え切らないままの私ではあったが、コクリと頷いておいた。

竜崎先生のそんな言葉を聞いて、何となく気持ちが少し引き締まって来たかもしれない。
手塚部長の一声で各々コートへと散っていく部員達をぼんやりと見送って、立ち位置こそ違うけれど自分もその輪の中の1人になったのだと、自覚が出てきたようだ。


「じゃあ、俺達はまず部室にでも行こうか、
「……はい」


私が心の中で自分なりに気を引き締めていると、不意にポスッと頭に掌を乗せられて、貞治君の抑揚のない声が降って来た。
私はそれに渋々頷くと、部室へと向かう貞治君の背を追いかける。

テニス部の部室へ足を踏み入れるのは、今回で二度目だ。
言わずもがな、一度目は貞治君に命令された桃君に担ぎ上げられて連れてこられた時である。


「部室内の説明は、そんなにする必要はないだろうな」
「うん。そんなに広くないし……2回目ですからね」


誰かさんのせいで。

そう続ける私を横目にチラリと見やると、貞治君は部室の扉を開けて中に入るよう私を促した。

何となく「失礼しまーす」と呟きながら踏み込んだ部室の中は、以前とまったく変わりのない風景を維持していた(まあ、当たり前だけれど)。
前回の訪問時と違う点を強いて挙げるとするならば、私と貞治君と手塚部長と大石先輩が座っていた椅子と長机が見当たらないことくらいだ。

もしかして、あの為だけに用意したものだったのか?(何て無駄な…)


「とりあえず、マネージャーにやってもらう仕事を大まかに説明することから始めよう」
「はーい」


部室の奥の方へ歩いていった貞治君は、そう言いながら部室の蛍光灯のスイッチをパチリと押した。
放課後とはいえまだ明るい時間帯ではあるが、校舎の蔭にあるこの部室は変に薄暗い。
蛍光灯が点灯して、部室は一気に明るさを持った。

落ち着きなく辺りを見渡す私を窓際に置いてあるパイプ椅子へ座らせて、貞治君は例の怪しげなノートを取り出し、マネージャーの仕事について説明を始める。
私はそれをボーッと聞きながらゆったりとした動作で、用意していたメモ帳に要点を走り書きしていくのだった。








「お疲れっしたー」


そんな、疲れを含んだ挨拶を交わしながら、部員達は各々帰りの身支度を始める。

結局、私は今日1日貞治君の後ろをついて歩き、マネージャーの仕事内容を把握することしかしないまま、部活動終了の時刻を迎えてしまった。
貞治君が1日の練習を無碍にしてまで私についていてくれたおかげで、仕事内容は驚くほどすんなりと頭の中に入ってしまった。


「……はあー…」


そんな私は、今部室の扉の前で待ちぼうけ。

マネージャーとして、部室を最後に締めることもあるだろうからと、貞治君に待っているよう命じられたのだが、現在部室の中では部員達が着替え中なのである。
部員と言っても、最後まで練習していたレギュラーしか残ってはいなくて、他の部員達は早々に帰宅していった。

私自身も着替えをしなければいけないし、荷物は部室の中なので、着替えが終わるまでボーッと待っているわけなのだが。


(今日は精神的に疲れた……。これから毎日ここに来なきゃなんないのか…)


夕刻のオレンジ色の空が、もうすっかり薄暗い空へと変わっている。
そんな空をボーッと眺めながら、私は今日貞治君に叩き込まれたことを、何となく復習する。

マネージャーの仕事、と言っても、それほど難しいことはなかった。
部員達のドリンク作りから始まり、タオルの準備や試合のスコア付け、後は手塚部長が書いているらしい部活動日誌のチェックや管理。

毎日、だらしのないあの兄さんと暮らす為に家事をこなしていることを考えると、そんなに苦にはならないのだが、心配事があるとするならば1つだけ。

―――マネージャーとして、早朝、部員の誰よりも早く部室を開けて準備をしなければならないこと。

昔から、朝だけは弱い。
家から学校までの距離上、地元から通っている生徒よりは朝早く起きているものの、今までだって結構遅刻ギリギリな生活をしていたのだ。
それを、2時間程度早く行動しなければならないとなると、キツイものがある。

それを見破っていた貞治君には「俺のモーニングコールが欲しいのならやるぞ」と言われたが、全力で丁重にお断りした。(何か怖いから)
その代り、遅刻1回ごとに貞治君が作っているらしい怪しいドリンク・乾汁なるものを飲まされるらしい。


(ぜっっっったい、遅刻できない……!!)


小さい頃から植えつけられた、貞治君の作り出す料理(と呼べるのかも分からない物)に対して結構なトラウマを持つ私が、心の中でそう堅く誓ったのは、ほんの1時間ほど前である。

そんな早朝起床問題があるものの、仕事内容に不安を感じることはなく。
気が重くなってきている私を余所に、更に貞治君から要求されたのは、部員達のデータ内容を把握することだった。

実は、今私の手元にその部員達のデータが記載されたプリントの束がある。
全て貞治君独自が集めた個人のデータらしいが、主にレギュラーの人達のデータが事細かに書かれているのだ。


(貞治君も、データテニスするんだっけ)


手元にあるプリントの束をペラペラと捲り、部員達のプロフィールやテニス遍歴、プレイスタイルなどのデータに軽く目を通しながら、思わず苦笑する。

私の従兄に影響されてしまったのだろうが―――これは個人情報保護法に引っかからないのだろうか(というか、テニス以外のデータは必要あるのか?)。

貞治君にこのデータの束を渡された時、「他校のデータもあるが、それはその時が来てからでいいか」と言われた時は、思わず彼を見る目が変わってしまいそうになった。
幼馴染から影響を受けることはいい傾向だろうが、個人情報を根掘り葉掘り調べつくすところは、とてもじゃないが私は真似できない。

私の従兄と幼馴染のデータは、一学生が得られるデータ量を軽く超えている。



(まあ、役には立つけどね)


マネージャーとなった今、部員を把握しきれていない私には、願ってもいない救いの手ではあるのだが。


「―――……ん?」


家に帰ってからじっくり読もう、と1人でプリントをひたすら捲りながら考えていると、不意にジャージのポケットの中に入れておいた携帯電話が震え出した。

この携帯電話も、部員達と連絡がすぐに取れるように肌身離さず持っていろと指示されて、渋々持っていたものなのだが―――まだ部員達に私の携帯番号やメールアドレスは教えていない。
そうなると、私の携帯番号を知っている数限りある人物であるのだが、着信の長さからして電話のようだ。


「―――もしもし?」


私は特に着信を確認せず、手元のプリントを見つめたまま携帯電話を手に取り、電話に出た。
大方、兄さんが「腹が減ったから早く帰って来い」とか言うのだろうと考えていた私の耳に、懐かしささえ感じる落ち着いた声が届く。


か?』
「…………はい、そうですけど……え? うそ、何で? え?」
『……落ち着け。情けない声を出すな』


私の名前を呼ぶその声に、しばし携帯電話を耳に当てたまま固まった私。
思わず携帯電話の画面を一度見つめて、それから再度耳に近付けると、少し呆れたような声が電話越しに聞こえてきた。


『この時間なら確実に出るだろうと思って電話したんだが……取り込み中か?』
「え? ……あ、いや、大丈夫だけど…」
『そうか』


その声は、紛れもなく私の従兄の声。
静かで落ち着いた声の後ろから、何かを打つような音や掛け声が聞こえてくる辺り、どうやら部活の合間に電話をかけてきてくれたらしい。


「何か久しぶり、だよね。青学に編入するって話した後、数回電話しただけで連絡しなかったから。そっちの家にも遊びに行ってないし…」
『予想はしていた。問題はない』
「あ、そうですか。…………ごめんなさい」
『毎回謝るくらいなら、月に1度位は連絡をしろ』


メールでも構わない、と溜め息交じりに言う従兄に、私は数か月前と同じように電話越しで頭を下げた。
そして、突然の電話について訊ねる。


「で、どうして急に電話してきたの? 部活大丈夫?」
『俺は今、休憩中だ。それに、もうそろそろ終了の声がかかるだろうからな』
「そっか。……それで?」
『ああ、要件についてだが……少し興味深い話を、とある筋から聞いてね。確認の為に電話した』
「……興味深い話? 確認、って……私に?」
『ああ』


何だか含みのあるその物言いに、私は嫌な予感がして顔を引き攣らせた。
そんな私を知ってか知らずか、従兄は電話越しに小さく笑いながら、ゆっくりと告げる。


『青学男子テニス部のマネージャーになったそうじゃないか―――詳しい話を聞こう』
「……」




な……何で昨日今日の出来事を、住んでいる県すら違う貴方が知ってるんですか……!!




静かではあるが、どこか「何でそういう大事なことを連絡しないんだコラ」といった苛立ちのニュアンスすら含まれていそうな従兄の声に、身体は固まるし顔は引き攣るし。
手に持っていた部員達のデータの束が、バサリとその場に落ちていくのと同時に、タイミングがいいのか悪いのか、ガチャリと部室の扉が開く。


ちゃーん! もう着替え終ったよーん……って、ありゃ?」


部室からひょっこりと顔を出してきた菊丸先輩に、私は答えることができぬままで。


『……今の声、青学の菊丸英二だな。どうやら、話は本当らしいな』
「……」
ちゃん? 誰かと電話中ぅ?」


足元に落ちたプリントを拾いもせずに、携帯電話に耳を寄せて突っ立ったままの私の顔を、キョトンとした菊丸先輩の顔が覗きこんでくる。
いつもならば、可愛いな、なんて思うだろうその状況に、心臓を悪い意味でバクバクと鼓動させた瞬間だった。


、今度の日曜日、俺の家に来てほしいんだが……空いているか?』
「……え、あ、えーと……確か兄さんと出かける約束―――」

『空 い て い る な ……?』

「はい、空いてます。行きます。行かせて頂きます」
『よし』


威圧的な従兄の声に断れるはずもなく。
そんな私のことなど露知らず、不思議そうな顔で菊丸先輩は目の前に立っていた。








格好悪いことかもしれないけれど、縋りつくよ。

幸せの永劫の為に。

(そこから総て、始まるのだから)










アトガキ。

*ようやくテニス部のマネージャーとして動き出したヒロイン。
 
*これからじゃんじゃん働いていきます。そして、今回で出会い編はひとまず終了。次からは新しい章で、ヒロインとテニス部の日常をちまちま書いていこうかなと思っています。
 そしてそして、週末はやっとヒロインの従兄が登場です。なんとなくヒロインの語りややり取りで醸し出して(というかさらけ出されて)いるので、多分誰だかはもう分かっていると思いますが……ひっぱります(笑)


*章タイトル『日常急カーブ!』→→意:ヒロインの日常の激変。




*2010年5月25日 加筆修正再UP。