日常急カーブ!    03

突然ではあるが、私が住んでいるのは都内某所にある高層マンションである。

青春学園に通っている私としては通学に少々難儀する(難儀、と言っても電車通学が面倒臭いだけなのだが)場所に位置しているマンションなのだが、神奈川に住んでいる従兄の家に遊びに行くには楽なところ。

ここは私の同居人で遠縁に当たる円城寺の父が経営しているマンションの1つで、そこに部屋を借りている兄さんの元に、私は居候させてもらっているような状態である。

兄さんとは小さい頃から兄弟のように慣れ親しんできた間柄で、今となってはもう家族同然。
それに、兄さんにはテニスを教わっていたこともあった。

兄さんは、現在23歳の若さで、出張を受けるテニスコーチをしている。
独自のテニススクールを起こした、と言った方がいいかもしれない。
日本中各地に散らばるテニスの名門校やテニス施設へ赴いては、若者達にテニスを教え込んでいる。
高校卒業とともにこの職についていたので、大分年月も経ち、今ではすっかり全国区での有名人だ。
一時は、その類希なるテニスプレイを買ってプロへと推奨してくれる人も多々いたほどだが、本人にその意思はなく、現在の状態に落ち着いているわけだ。

元々、人にテニスを教えることが好きだった様子の兄さんには、私は天職ではないかと思っている。


そんな兄さんと暮らし始めて、2年以上になるのだが―――。

兄さんにお世話になることが決まった時、私は「せめて家事だけでも」と、炊事・洗濯などの家事全般を任せてもらえるように、兄さんに頼み込んだ。
費用のかかる私立中学校へ通わせてもらっている上に、住む場所や食事、何不自由ない生活まで賄ってもらっているのだから、当然と言えば当然なのだが。

理由は、他にもある。


「……兄さん」


その原因は、何を隠そう―――兄さんにある。

テニス部のマネージャー採用の件に一枚噛んでいるらしい兄さんを、どう問い詰めようか。
そんなことを考えながら、自宅のあるマンション最上階へ上り、扉を開けた途端、私の目に飛び込んできたのは、悲惨な光景だった。

昨日、きちんと私が掃除したはずのリビング。
そのリビングには、あちらこちらに脱ぎ散らかされたシャツやジーンズ、兄さんの荷物らしきものが散乱し、ちょっとした“荒らし”に遭ったような状態だった。

そんなリビングの中央にある真っ白いソファーでだらしなく寛いでいる兄さんの後ろ姿を見て、私はただ呆れ、溜め息を零す。


「んー? ……おお、! おかえり〜」
「…………ただいま」


ソファーの背凭れ越しに振り返って来た兄さんは、ヘラヘラと笑いながら、小腹でも空いてしまったらしくカップ麺をズルズルと啜っていた。

そう。
私が家事全般を受け持たざるを得なかったのは、彼が―――極端にだらしがない人間だったからだ。

ここにやって来た当初は、そのあまりのだらしなさに驚愕し、自分はここに住んでいられるのだろうか、と自問自答を繰り返したものだ。


「遅かったなー。今日は随分と」
「遅くなった理由知ってるくせに、そういうこと言うの?」
「何だ? もうバラしちまったのか、貞治の奴」


つまんねーの、と呟きながら相変わらず麺を啜る兄さんに、私は苦笑した。
本当は学校から帰ってすぐに部屋着に着替えたいところではあるが、今は話をする方が先だと思い、私は兄さんの向かい側のソファーに腰をかける。


「バラしたも何も……入部届見せられて、それに“円城寺”の印があったらいくら私でも気付くよ」
「ちょっとしたサプライズだよ。いい刺激になったろ?」
「いらないよ」


夕飯食べられるんだろうか、という私の心配を余所に、兄さんはカップ麺の汁まで余すことなく飲み干した。
無造作に目の前のテーブルへ置かれた空のカップを見つめて、私は家に溜まっているカップ麺をどこかに隠しておこうと考える。

そんなことはともかく。

私はニヤニヤと笑ってソファーにふんぞり返っている兄さんを一瞥し、通学鞄から1枚の紙を取り出す。
それは、数時間前に私の目の前に差し出された―――青学テニス部の入部届。


「マネージャーも一応入部届出すんだな。俺ん時はマネいなかったし……あー、スミレ婆が顧問になってからはマネなんか取っちゃいねーか」


私が入部届を眺めていると、どこか愉快げにそう言いながら、兄さんが私の隣へと移動してくる。
私の持つ入部届を覗き込み、そのメモ欄に書いてある『マネージャー』の文字を指でなぞった後、兄さんはニヤリと笑って私を見た。


「くっきり付いてんだろ、俺の印。愛しいちゃんの為に張り切って捺させて頂きましたよ」
「そんなところで張り切らなくてもいいよ。……てか、言い方が何かいやらしいからやめて」
「いちいちいやらしい生き物なんだよ、男ってのは」
「何それ…―――いつの間に貞治君とか竜崎先生とかと連絡取ってたの?」


グイッ、と頬を寄せて、人のこめかみに頬擦りしてくるいい歳のお兄さんを押しのけて訊ねると、そのお兄さんは事も無げに答える。


「スミレ婆とは、お前を青学へ編入させようって決めた時から。貞治とは……“例のこと”があった後」
「!」


兄さんの言葉に、私は驚いたと同時に「やっぱりか」とも思った。
貞治君が、女子テニス部ではなく男子テニス部のマネージャーを私に頼んできた理由は、やはり彼にあったのだ。


「……ま、貞治に教えたのは俺じゃねーけどな」
「……え?」


やっと自分の中での憶測が確信へと変わり始めていた時、不意に兄さんがそう零して、私は思わず声を上げた。
兄さんの顔を見ると、その整った顔がいつになく真剣みを帯びていて。

ある人物が、頭に浮かんだ。


「俺がお前の従兄さんに教えて、暫くしてからそいつが貞治に教えた」
「……そうだった。あの2人は幼馴染みだって、今更思い出したよ」


兄さんに言われたことで、やっと浮かび上がって来たその人物。
こんなことを本人が聞いたら、さぞかし不機嫌になることだろうが―――よく考えてみると、従兄の繋がりで、私は貞治君と知り合ったのだ。

知っていて、当然。
教えていて、当然なのだ。


「俺に似て顔が広いからなー、お前」
「……顔が広いのに似てるも何もないって」


大体、いくら親しいとは言っても、本当に遠い親戚なのだ。
血の繋がりだって殆どないに等しいのに、似るも何もない。

そう続ける私に、兄さんは「そうつれないこと言うなって」と豪快に笑った。


「まあ、それはともかく。どーすんだ? マネの話」
「……」


突然、元へと戻った話の軌道。
一瞬呆気に取られてしまった私だが、すぐに我に返って今日の出来事を瞬時に思い出した。

そして、小さく零すように呟く。


「まだ……分からないや」


曖昧なままの、私の返答。

テニス部の人達の練習風景や言葉が、頭の中にふっと浮かんでは、下らない私の恐怖心が奥へと押し込めて隠してしまう。

もう、すぐそこまで、決心し始めているのに。


『素敵なテニスをするのね、は』


少しでも、あの時に戻れることを。
こんなにも、喜んでいるのに。


『……残念だよ、


奥底にこびりつく様に残る、この気持ちだけが拭いきれない。


「―――…私、着替えてくるね」
「ん? ……おう」


腰をかけていたソファーから立ち上がり、小さく笑ってみせた私は煮え切らない顔をした兄さんをそのままに、自室へと引っ込んだ。


(ごめんね)


兄さんの複雑そうな横顔を一瞥して心の中で謝ると、私は身に纏うセーラー服に手をかけた。





***************





結局、衝撃的なその日は結論を出すことも出来ずに過ぎていき、私は翌日、いつものように学校へと向かった。
ただ、悶々とテニス部のことを考えていたせいで一睡も出来ず、部活に入っているわけでもないのに早朝登校したのは、私だけの秘密だ。


「……さて、どうしたもんかな」


青春学園校門前。
人の気配が薄い校舎を見つめて、私は一人溜息をついた。

制服のスカートのポケットには、昨日渡された入部届が入っている。
私は暫くその場に立ち尽くしてから、教室で考えようと足を進めた。


昨日、学校から帰宅してから朝を迎えるまで、必死に考えた。
テニス部に入ることで、これから私に起こりうるだろう出来事は、私だけではなく兄さんや貞治君達も望んでいることなのかもしれない。

―――私が、テニスとの関わりを取り戻すこと。

それは少なくとも、私自身も考えていることだった。

いつまでも、このままテニスから遠ざかってもいられない。
兄さんはテニスとともに生活しているようなものだし、従兄や貞治君も小さい頃からテニスと密接に関わっている。

そんな人達と関わっていく中で、どんなに私の心がテニスを拒絶しようとしたとしても―――いつか、必ず限界がやってくるはずだ。


(……分かってる)


誰よりも、何よりも。
私はテニスが、好きだ。

そんな私を応援してくれる人達が、たくさんいる。

もし私が、決心の欠けたいい加減な状態でテニス部に入ったとしても、何とかしてテニスと関わりを持たせようとしてくれている貞治君達に申し訳がない。


「どーしよう…」


期限は、今日の放課後。

頭では充分すぎるほど理解しているはずなのに、肝心の身体が動かない。
そのせいで、入部届に私の名前はまだ、ない。

ポケットの中に伸ばした手の指先に、カサリと紙の感触が響いた。


「―――あれ、じゃねーか!」
「……?」


トボトボと情けない足取りで校舎へと向かう私の背に、不意につい昨日聞き慣れた声が届いた。
昇降口を目の前に『』と呼び止められてしまった私は、ゆっくりとした動作でその声の主へと振り返る。


「よう! お前、毎日こんな早くに登校してんのか?」
「桃君…」


そこには、昨日ひょんなことで知り合った(と言っていいのか分からないが)クラスメイト・桃城 武―――通称・桃君の姿が。
どうやらテニス部の早朝練習があったらしく、テニス部のレギュラージャージに身を包んでいる彼は、後ろに同じジャージを着た人2人を置き去りにしたまま、こちらに歩み寄って来た。


「おはよう、桃君。毎日じゃないよ。今日はたまたま早かっただけ」
「へー……家近いのか?」
「んー、1時間ちょっとかかるかな。電車とバス使って来てるから楽だけど」
「はあ!? お前そんな遠くから来てんのかよ!」
「遠くって……ちゃんと都内だよ」


こっちの方にも買い物しに来たりするし。

そう他愛のない会話を桃君と繰り返していると、昨日の出来事が嘘のように感じる。
「俺はチャリ通ー」と笑うクラスメイトに、私は苦笑を返した。


「桃ーッ!!」
「どわぁっ!?」
「!」


そんな時。
クラスメイトとの何気ない朝の会話を繰り広げている中、不意に、目の前に立つ桃君を呼ぶ声が聴こえたかと思うと、彼の後ろから黒い影が飛び出して背後からガバリと襲っていった。
その不意打ちに驚いたらしく素っ頓狂な声を上げてよろめく桃君に、更に私が驚き、目を丸くしてその影に目を向ける。


「ちょっ……!? な、何するんスか、英二先輩!」
「え、英二……朝から元気だね」


桃君の背中に乗っかる勢いでひっついている人物は、どうやら3年生らしい。

「ビビるじゃないッスか!」と怒鳴る桃君とその背にいる人を何となく眺めていると、もう1人、レギュラージャージに身を包んだ人が歩み寄って来た。
身体付きはしっかりとしていて男らしいが、どこか優しげな雰囲気を醸し出している人で、困ったような笑みを浮かべている。


「タカさん」
「ごめんな、桃。ほら、英二も離れないと。そこの子、呆気に取られてるし」


その人―――タカさんと呼ばれた人も3年生なのだろうか。
桃君にひっついていた人物―――英二と呼ばれた先輩を桃君からやんわりと引き?がすと、私に顔を向けて「ごめんね」と控えめに苦笑してきた。


「だってー! 先輩である俺達を置き去りにして、いきなり歩いて行っちゃうからさー」
「……すんません」


桃君の背から引き?がされた英二なる先輩は、ムスッと口を尖らせながらそう言った。
桃君が申し訳なさげに頭を下げる横で、私はその先輩に見覚えがあって、少し考える。

昨日、部活を見学した時に見た、外撥ね髪の人だった。
確か、大石先輩と組んでダブルスのラリーをしていた、よく動く印象を受けた人だ。


「しかも女の子と楽しげにお喋りしだしてさー…―――ねえねえ、もしかしてこの子、桃の彼女とか?」
「ち、違いますよッ! 英二先輩、何言ってんスか! ただのクラスメイトッス」
「クラスメイトぉ?」


顔を微かに紅くして、これでもかと全力で否定する桃君。
そんなに必死に否定しなくてもいいじゃないか、と思いながら桃君を見ていると、不意に英二先輩とやらが私の顔をひょっこり覗きこんできた。


「……あ、あの…」
「あっれー? 君、昨日テニスコートにいた子じゃにゃい?」


……にゃ、って何だ。

その人の口から出てきた言葉に一瞬突っ込みそうになったが何とか自制して、私は至近距離にある歳の割には可愛らしさのある先輩の顔を戸惑いながら眺めた。
右頬にある絆創膏が、何だか気になる。


「桃、この子もしかして…」
「あー、はい。こいつが“”ッス」
「マジ!? じゃあ例の、乾の幼馴染でマネージャー候補の、やる気無さそうな妙に肝の据わった子って、この子!?」
「……」


タカさんとやらに訊ねられた桃君の口から、私の名前が零れ落ちる。
その瞬間、何か物珍しい動物でも見るかのように、2人の先輩の顔付きが変わった。

……そんなに珍しいことなのか?
というか、テニス部員達の私の印象は、総じて“無気力”なんだね。


「……2年のです」


とりあえず名乗らないのも悪いかと思って頭を下げると、一瞬呆気に取られたような顔をした先輩2人。
そして、暫しの沈黙の後、2人はそれぞれ私に名乗り返してくれた。


3年の河村隆だよ。皆には『タカさん』って呼ばれてる。よろしくね」
「同じく3年の菊丸英二だよーん! よろしくぅ!」
「タカさんはすっげーパワープレイヤーで、英二先輩は大石先輩とダブルス組んでんだ。青学のゴールデンペアって、全国でも有名なんだぜ」


タカさん改め河村隆先輩と、菊丸英二先輩。
桃君の補足に照れたり喜んだりする2人が何だか微笑ましくて、思わず私は笑って「よろしくお願いします」と返す。

―――と、その瞬間。
視界が突然、真っ暗になった。


「可愛いーッ!!」
「……は?」
「…………ちょっ、英二!?」
「英二先輩、流石にそれはまずいですって!」


どうやら先程の桃君宜しく、菊丸先輩に飛び付かれてしまったらしい。
一瞬呆気に取られてしまったのは私だけではなく、ギューッと私の頭を締めている菊丸先輩に慌てた様子で桃君と河村先輩の声が聞こえた。

……というか、え?
私、もしかしなくとも抱きしめられておりますか?(遅い)


「桃、タカさん、見た!? 今の顔見た!? すっごい可愛くない?」
「え……あ、いや、確かに可愛かったけど…」
「でしょっ!!」
「ちょっとタカさん! 賛同してる場合じゃねーって!」


ギャーギャーと桃君が必死になって、私から菊丸先輩の身体を引き離す。
そんな状況の中、私はただただ茫然とその場に立ち竦んで硬直していた。


、大丈夫か? ……顔赤くなってきてんぜ」
「ッ……!?」


桃君の言葉に状況を理解した私は、ボッ、と音がしそうな程顔を熱くさせた。
そんな私を物珍しそうに眺める桃君の隣から、菊丸先輩が、今度は私の腕を掴んで笑う。


ちゃんって呼んでいいかにゃ?」
「(また『にゃ』って……)はい、別に構いませんけど…」
「よっしゃー!! じゃあちゃん、一緒にテニスコート行こ!」
「……はい?」


突然の提案に困惑する私を余所に、菊丸先輩は桃君と河村先輩の制止を完全に無視して、私の手をグイグイと引っ張ったままテニスコートへと足を進めていく。
私は何やら機嫌良さそうに歩く菊丸先輩の背中を見つめながら、嫌な予感を覚えた。


「あ、あの……折角なんですけど、私がテニス部に行くのは放課後で…―――」
「いーじゃんいーじゃん! 今、レギュラーが何人か試合してるから、見ていきなって」
「え、あ、いや…」


このままでは、まだ決心が付いていない状態で再度、テニス部メンバーと顔を合わせることになってしまう。

瞬時にそういう思考へ走った焦る私の心など露知らず、菊丸先輩は今にもスキップし出しそうで。
私はとりあえず、コートを囲うフェンスの外から見学することを思い立って、渋々ついて行くこととなった。








青春学園テニスコート―――。
早朝だというのに、そこには活気なテニス部員達の掛け声と、言い知れぬ緊張感が辺りを支配していた。


〔ゲームセット! ウォンバイ手塚 6-0!〕


審判役を務めている1年の声がコートに響いたと同時に、わあっ、と盛り上がる部員達の声援。

コートに悠然と佇んでいる手塚先輩の向かい側には、相手をしていたらしいレギュラーではない3年の姿があった。
とてもじゃないが、余裕の表情とは程遠い、疲弊しきった姿だ。


〔ゲームセット! ウォンバイ大石・菊丸ペア 6-2!〕


そんなコートの隣では、ダブルスの試合が終了したらしく、審判の声が響く。
こちらの試合も、レギュラーで“ゴールデンペア”と呼ばれる2人の圧勝らしかった。


「……ッ」


私はそんな先輩達の様子を、ただただ食い入るようにフェンス越しに眺めていた。

自分の隙を突いてくる相手の放ったボールを、的確に捉えて相手の隙に叩きこむ正確さ。
ボールに回転をかけて相手を翻弄する技術。
まさに一心同体な、ダブルスのコンビネーション。
圧倒的な、カリスマ性。

そして、何よりも―――自分達のテニスを素直に表現する、無垢さ。

目の前で繰り広げられ続けるレギュラー達の真剣勝負は、決心の一歩を踏み出し切れていなかった私の心に、ブスリと深く突き刺さる。


(―――……ま、まずい)


指先が、小さく震え出していた。

身体がボールの弾むリズムに合わせて、小さく動こうとしている。
右サイドに叩きこまれたボールをクロスに返して、不意を突かれて上がったロブを力強いスマッシュで逆サイドに叩き込む。

頭の中で「私ならばこう返す」、「ここでこの技を使う」と試合をシミュレーションしている自分がいた。
その手は、武者震いなのか何なのか、分からない震えを続けていて。




止まらない、この感情。




「―――


フェンスの外から、ただただ震える掌を握り締めて試合を見ていた私の背に、不意に声がかかる。
試合から目を離すのが惜しくて少し躊躇したが、私はゆっくりとその声に振り返った。

今、目の前では1年生ルーキー・越前君の試合が行われている。


「どうだい? ウチのレギュラー達の試合は」
「……竜崎先生」


いつものピンク色のジャージに身を包んで、竜崎先生は私の隣までやって来た。
竜崎先生の視線がコートへ向いているのを確認して、私もコートへと目を戻す。


「すごい、ですね。部長の手塚先輩は文句なしに強いし……大石先輩と菊丸先輩のダブルスも絶妙で」


それに、と続ける私の言葉を、竜崎先生は黙って聞いていた。


「皆さんそれぞれ特性があって―――何より、すごく素直で楽しそう」


ふ、と自身の顔の筋肉が緩むのが分かった。
それと同時に、目の前のコートでは越前君の鋭いツイストサーブが決まる。

凄いな、あの歳であそこまで鋭い球が打てるなんて。
コントロールも、抜群。


「でも、足りないものがあるだろう?」
「……?」


ボーッと、越前君がボールを追いかける姿を自然と目で追っている私に、竜崎先生が言う。
私は、チラリと横目にその横顔を見た。


「どうにも、『仲間との勝利の為に』と無茶なことをする連中が多くてねぇ。それを“支える者”がいない」


困ったように笑いながら言う竜崎先生の視線は、コートに立つ部員に注がれていて。


「アイツらとは別の視点からしっかりと支えてくれる者がいれば、アイツらはもっと安心して、素直に成長するんだろうけどね」


そう言った竜崎先生は、そのまま私へと視線を移した。
私はただ、真っ直ぐにその目を見つめ返すだけ。




「アンタももう―――好きなようにしていいんじゃないのかい?」




確かに感じた、明日への期待。
それは、こんなにも真っ直ぐにテニスをする人達のおかげで感じられたもの。

何だかどことなく愉しげに笑う竜崎先生を見て、私は1つ溜め息をついた。


「竜崎先生」
「ん?」


もう、止まれない。

私も支えられて生きてきた。
支えられて、望んできた。

それを今、彼らを支えることで返すことができるのならば。
彼らと共に明日へ賭けることで、先へ進めるというのならば。




「放課後……入部届、持っていきますね」




少しでも、自分の望む道を歩けるのならば。
もういい加減、怖気づかずに、私は踏み出すべきなのではないだろうか。

一瞬キョトン、と目を丸くした竜崎先生は、すぐに嬉しそうに含み笑いをして。
コートの中では、越前君が早くも試合を終わらせていた。


「これから、面白くなりそうだねぇ」


そんな一言を、竜崎先生が呟いていたことを、私は知らない。








決意、新たに。

(あんな熱情を見て、応えないわけにいかないじゃないか)










アトガキ。

*同居人の正体と、動き出したヒロインの感情。

*やっとレギュラー全員とヒロインを絡めることができました!やった…!(感涙)どちらかというと他校贔屓な私にしては頑張った!
 半ば無理矢理な展開ではありましたが、やっとヒロインも決意して、男子テニス部マネージャーになります。
 ヒロイン自身、テニスへ関わることを完全に拒絶していたわけではなかったわけですね。
 次からいよいよマネージャーとしてスタートです。キャラとも絡めていきますがその前に、リョーマとの仲を良く出来たら……いいな(爆)




*2010年5月25日 加筆修正・再UP。